ネット○○派 part434

よく眺めてるブログから突っ込まれた。
ホメオパシーが排除されるべき理由: ニュースの社会科学的な裏側
ちょっと前後するんですが、先に書いておくと

こういう書き方をすると、なぜかブログ主は漢方や鍼灸を擁護していると早とちりする人なので明確に書いておくが、漢方や鍼灸も治験を経ないと治療効果があるとは言えない。

該当部分を見直したんですが、そうですね。漢方や鍼に対する直接的な「擁護」という読み方をされても仕方がない。確かに書き方が悪いのは認めます。


ただ、こういう書き方をしたのは理由があるので、あとで触れます。

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さて。
ホメオパシーが排除されるべき理由: ニュースの社会科学的な裏側

しかし、医療関係者が乳児に通常の医療行為の代わりに砂糖粒を与えるに至り、カルト化しているのが露呈した。子どもは自分で医療行為を選択できないし、大人も医療関係者の勧めを断りづらいので事態は深刻だ。

まず、子供にこの種のものが使われているのは、別にホメオパシーに限ったものじゃなくて、鍼だってそうだし、漢方でも子供用の漢方を検索すればいくらでも引っかかってきます。


ホメオパシーはヨーロッパあたりだと普通に根づいてしまっていることは何度も書いてきたところですが、子供のためにホメオパシーを利用することの問題点ももちろん理解されています。問題が生じかねないことは意識されながらも、ホメオパシーは根付いちゃってんですよね。この辺のことも書きました


つまり、「医療関係者が子供に」というのは、ホメオパシーそのものに対する批判にはならなくて、せいぜい使い方の問題にしかなりません。

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次ですが。
ホメオパシーが排除されるべき理由: ニュースの社会科学的な裏側

ホメオパシーの問題は、科学的治療を振る舞いつつ、現代医療を否定して回っていたこと。こういう事が横行すると助かる命も助からなくなるわけで、病人が現代医療を受ける権利を阻害している。ゆえに、ホメオパシーを排除すべしと言う事になる。

おっしゃることはよく分かるし、私も問題だと思うんですが、「現代医療を否定して回っている」から「排除すべし」は必ずしも一直線につながりません。


というのも、「では、現代医療との共存をホメオパシーサイドが探るような姿勢になったら、あなたはホメオパシーを許容するんですか?」という問題になるからです。


もし、許容しうるということなら、ホメオパシーの「排除」を主張するのではなくて、ホメオパシーサイドがきちんと自己管理して現代医療との共存の道を模索せよと主張するほうが建設的だし(たとえば、久保田裕が最初書いていたような意見)、許容できないという話なら保険もきいてしまう漢方や鍼灸も断固許容するべきじゃない。


ここで「排除」と書いておられるのは、
ホメオパシーが排除されるべき理由: ニュースの社会科学的な裏側

排除と言ってもホメオパシー信奉者を火炙りにしろと言うわけではなく、社会から医療行為として認められないようにすべきだと言うだけだ。

という意味だということですが、「だけ」というほど簡単な問題だとはとても思えません。


日本ではホメオパシーはお金に余裕があったり、やりたい人が自分のお金でやってるだけですが、漢方や鍼は科学的根拠がないにもかかわらず、保険が適用され得ます。また鍼にも死亡事故はありますし、漢方にはホメオパシーそのものにはない副作用の問題があるのに軽視されがちです。それに、漢方とホメオパシーでは産業としての規模が違いすぎ(漢方のほうが少なくとも50倍程度は規模が大きいはずだと思う)、比べ物になりません。


これだけの問題なのに、ホメオパシーと漢方や鍼灸との扱いにつけられた差が「科学的治療を振る舞いつつ、現代医療を否定して回っていた」ことをもって正当化されるとは到底思えません。そういう話なら、「科学的治療を振舞わないような、かつ現代医療を否定しないような民間医療は全部保険適用すりゃいいよ」とも言いたくなります。もちろんそうはまずならないわけで、書かれたようなホメオパシー批判はあまりにアンフェアに過ぎていると言わざるを得ません。


つまり、私が「擁護」と書いたのはこのアンフェアさを是認してしまっていることについて言っているのです。

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さらに、

排除と言ってもホメオパシー信奉者を火炙りにしろと言うわけではなく、社会から医療行為として認められないようにすべきだと言うだけだ。

陽の当たるところに出てきてはいけないモノも、この世にはあるわけだ。

というのは、書かれていたような根拠と全く無関係だとは言いませんが、しかしこれは、その社会に、ある民間療法が根付いてるかどうかの問題でしかないんじゃないでしょうか。


ヨーロッパの場合は(もちろん全部確認したわけじゃないですが)、すっかり根付いてしまっていて、そこらの薬局で普通に扱っていたりするので、いまさら全否定できないし、しても仕方がない、適当に管理しながら共存するほうがましだ、ということなんでしょう。もちろん、ニセ科学批判の人たちが紹介してきたように、批判や懐疑的な声もありますよ。でも、「ただの砂糖玉だし」と思いながら、お母さんが風邪の予防にと言っていい年をした息子に「砂糖玉」を渡したりするんです。これが現実です。


元来、疑似科学批判の文脈でホメオパシーをあれだけ批判するのは、ホメオパシーがそれだけ広く根付いているので、だからこそ批判にも意味が出てくるのですが、ホメオパシーが「輸入」されてまだ日が浅い日本に、この批判をそのまま持ち込んでも、疑似科学批判としてはあまり意味がありません。


だから、もうちょっと意味がありそうなのは、日本では漢方批判鍼灸批判だ、と言っているのです。ホメオパシーは、日本の漢方のようなものに相当するからです。

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記事に書かれたような議論は、ニセ科学批判の主張を批判的に検討しないまま鵜呑みにしてないと書けないだろうと思うんですが、去年に件の記事でちょっと書いたときも「ニセ科学批判ってこんだけ扇動しちゃったんだなぁ」という感想を抱いたのをおぼえています。


むしろ、ホメオパシー批判を是認する類の議論は、ニセ科学批判の問題を結果的に覆い隠してしまっていると思います。記事の最後の、

陽の当たるところに出てきてはいけないモノも、この世にはあるわけだ。

という一文も、おっしゃりたいことはよく分かるわけですが、では「陽の当たるところに出てきてはいけないモノ」はどういう基準で選択されるのか、そこはちゃんと議論の筋は通してもらいたいと思うわけです。


ところが、ニセ科学批判は、批判対象の選択基準について全くのダブルスタンダードをやっていて、漢方は「ある程度エビデンスがあるもの」とざっくり扱ってすませ、鍼は「調べてみる価値はきっとある」などと言い出していたわけで、こんな恣意的な判断のもとで「排除」や「『陽の当たるところ』に出てくるな」という議論をするのは非常に危ないと言わざるを得ません。(ニセ科学批判ではありませんが、日本学術会議の副会長に至っては、私は真偽確認してないけど、「漢方薬は長い歴史の中で検証され、生き残ってきたのですから、科学といえる」mixiに書いていた始末なんだそうで。ただ、これを見つけたのが早川由紀夫先生なんですけどね)


実際、今は Twitter が浸透してやや状況が変わりましたが、以前はニセ科学批判はおかしいとちょっと書こうものなら、すぐに、はてブなどでいろいろ書かれたものです。それこそネット右翼やリフレ派みたいに。


そこまで自分たちが正しいと思い込める理由って何でしょう。なんでニセ科学批判の人たちの言動が、ネット右翼みたいになってきてしまうんでしょうか。


このブログで「ネット○○派」と勝手に言ってきたのはこのことです。「正しい俺たち」で正義ごっこでネタを徒党内部で消費するのは、ニセ科学批判やリフレ派、ネット右翼、いずれも全く同じ構図なんですが、ホメオパシー批判に便乗して、正義の徒党を煽ってどうするのかと。リフレ派のリフレ論を鵜呑みにして「リフレは正しい」という人と何が違うんでしょう?

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ホメオパシーは日本に輸入されてまだ日が浅いし、どう見ても変な団体なので、何とかしろという声が出てくるのはよく分かります。ニセ科学批判ではなく、消費者問題としてそういう主張を展開して運動をするなら、それもまだ分からないでもない。


でも、ニセ科学批判って消費者運動ではないはずです。


私が「鍼や漢方が良くて、ホメオパシーが悪いと言う主張はおかしいと言い続けている」のは、「だからニセ科学批判はどうも変だ」と言いたいからであって、ホメオパシーと鍼・漢方の扱いの差はあくまでもその一例として挙げたにすぎません。


個人的には、弁当さんのリフレ派に対する態度に納得できないんですが、でも次の tweet は同感ですよ。
https://twitter.com/finalvent/status/316490066094608384

菊池さんの信奉者にも以前からそんな印象はありましたよ。“@kikumaco: @hidetoga 正義感が人をいかに不寛容にするかがよくわかった2年間でした”

そういう正義感を徒党を作って発露することしかやってないニセ科学批判やリフレ派やネット右翼や、、、もろもろのテーマで現れてくるネット上の徒党はどうもおかしいよねと。