ネット○○派 part257 「キャラ」の消費
いや、俺はホメオパシーから一銭ももらってないんだけど、でもやっぱり書くんですよ。日本のニセ科学批判はおかしいって。某所を見ていて改めて思ったんですけど。
前々から疑問なんだが、ようは書き手の「キャラ」で信用できるかできないか決めてしまって、発言の中身が信用できるかどうかは吟味してない人がどうも多いのかもしれないね。
キャラが好きだ嫌いだってのはあってもいいですよ。でも、嫌いなキャラでも言ってることはもっともだというのはあってもいいだろうし、好きなキャラでも言ってることは違うと言うことはあってもいいでしょう。
でも、ネットってそういうことになってないですよね。
○○さん、××先生は、Twitter見てるといい人だから、信用できるみたいな話になっちゃう。しかし、Twitterでもそうだし、ブログでもそうなんだけども、そこから見えてくる「キャラ」ってのはいくらでも作れるものだから、そこで信用されちゃうと困っちゃう。
現に、菊池先生の、ホメオパシーはダメだけど、鍼も漢方もいいんだってダブスタ、あれがうやむやにされてるのって、結局菊池先生のキャラだけでしょ。いや、確かに地震後の発信はさすがだなあと思うところもありましたよ。でもそれとこれとは話は別です。
つまり、「キャラ」が消費されているだけで、実際に何を言っているかはあまり重要でないことになっている。大事なのは「キャラ」のほうなんだもの。
で、キャラ云々は別にして、ホメオパシーを日本で叩くのであれば、科学として叩くのだったら漢方も鍼も擁護できない、他方で詐欺・社会問題として叩くのであればニセ「科学」批判とは何なのかという話になる。このへんをまともに集約できる議論ってのは僕は見てないし、まあ、できないと思う。無理だ。整合性がとれないんだもの、どうやったって。
ホメオパシーをいつも使うけど、おそらく他の例でも似たり寄ったりで、最終的に日本のニセ科学批判にはこういう問題があるんであって、そこを「キャラ」の消費で糊塗されてしまうとたまったもんじゃないわけで、ほんでニセ科学批判に文句を言った一般の人たちをなんかあれこれ言ったんだから。
いや、これでニセ科学批判とネット右翼って何が違うんですかっていうんです。
(追記)
いや、いつも菊池先生を例示して申し訳ないんだけれど、「リフレ派」なんかでも、結局○○先生や××さんのポジショニングなりキャラなりを消費して騒いでるだけなんだと思う。他のネット○○派でも同じことで。
ホメオパシーなんか、僕は問題点を指摘することそのものを否定したことはたぶんないと思うんだけど、言ってるのはいわばただ「あんたがたそんなこれ騒ぐ問題か?」という程度のことでしかないわけで。
結局、なんのために「批判」するんだとか、自分たちから見える「誤り」を正すことの目的は最終的に何なんだとか、そこがはっきりしないと、ネット○○派になって同病相哀れむ、みたいな形になる。このへんは、もうネット右翼にしろ、○○法案反対運動にしろ、同じだ。
で、○○先生や××さんのキャラを消費して自己満足するしかなくなっちゃう。