前回書いたように、中学レベルの勉強がちゃんとできない子供が平均的であって、こういう子供が高校に行って何を勉強するのか分からない。(もっとも、もうちょっとレベルの高い高校に行く子供は問題ないかと言うと、決してそういうわけではなく、あきらかに3年間でこなしきれない勉強量をやらされていて、消化不良を起こしている場合が少なくなさそうだけれども、これは別問題)

 

平均的な子供が高校に行って、その子によるけれども大学に行けてしまう。

 

では、中学レベルの勉強ができない子供は高校に行くべきではないとしよう。理屈を言えばそのほうが筋だ。

 

ところが、そうすると半分程度の高校はおそらく廃止することになるんじゃないかと思うし、当然教師の職もなくなるだろう。

 

それにつれて、大学の数も激減するだろう。つまり、大学職員や教員の職も大きく減少する。

 

ここまで考えは進むが、これ以上は分からないので、なるほど難しい問題だなあと嘆息する以外になくなる。

 

ネットには大学の先生が多いし、苦しい状況なのはよくわかるうえ、私のような人文系の学問が好きな人間にとっては悲しい現実がいろいろあるわけだけれども、

 

子供の現実から考えてみると、大学の先生の言い分も勝手なものだという感じをどうしても抱く。やむを得ない。

以前も書いたように、高校数学の必修範囲を検討するという話が出ると、私はわりに好意的に見るほうなのは書いたことがある(繰り返すが、文系人間の私は高校の時は数学が好きだった)。個人的にはもっと国語をやるべきだと思っている。国語がいい加減だと数学も理科も社会も何もできないからだ。国語がいい加減で、ろくに古文も漢文もやらないものだから、ほらご覧、新元号だって、、、というのは余計なことだった。

■ - 今日の雑談

 

ネットには大学の先生や、それなりに勉強した人が多いので、必修範囲の見直しのような議論に対して非常に批判が出る。

 

現実を見た場合、たとえば私が住む地域では、偏差値50近辺の高校に行く子供がどの程度中学数学ができるかというと、四則演算と、あとは本当に初歩的なものがちょっとできる程度で、方程式を立てることも1次関数もたいしてできなくても、入学試験には通る。

 

この場合は平均並みの高校と言っても下限かもしれないが、それでも、中学数学がまともにできない子供がだいたい平均並みと考えてよいのであって、これは大人でも同じことなのだろう。

 

私は、こういう子供たちが高校でなにを勉強するのか、大変に疑問だ。

 

しかも、こういう子供たちが大学に行きたがったりするわけであって、事実、大学に行けてしまう。

 

中学数学ができない人間が大学に行ってどうするのか、私には理解できない。

 

しかし、これが現実で、ことは数学に限った問題ではない。

 

本当に子供たちのことを考えるのであれば、こういう問題に大人がもっと向き合ってほしいと思う。

 

これは家庭の経済力の問題ですらない。なぜなら、人間の知性はおおよそDNAで決まってしまっていて、できる子供はほっておいてもできるし、できない子供はどれだけ資本投下してもできないという事実を今の日本の総理大臣が、とこれも余計なことだった。

 

余計なことは置いといて、現実の子供たちに向き合った時、大人は安易に「もっと勉強しろ」とは言えなくなる。もっと勉強したってできないものはできないのであって、にもかかわらず無理に子供に勉強させることは、単に無茶なストレスでしかなく、人間性と精神が捻じ曲がる結果しかもたらさないことは自明だからだ。

 

もっと真面目に、子供たちに向き合ってほしい。彼らの将来の幸せを考えてやって欲しい。私はそう、切に望む。

元号についてあれこれ言われているが、私が気になることは全く別方面のことだ。

 

有識者懇談会に出席した林真理子が、新元号を見て「非常に美しいな」と感じたと言っている。外務省がわざわざ"beautiful harmony"という英訳を出したように、美的感覚に訴えようと強調しているのも同じ線だ。

 

しかし私にはこれが分からない。そもそも元号に美的感覚を求めるものなのだろうか。これがまず一つ。

 

もう一つは、今の日本人の美的感覚そのものが非常にぼんやりしてしまっている。というよりも、非常にぼんやりしたものについて、理屈でなく「きれいだなー」という感じについて「美しい」と言いたがる傾向があり、その傾向を林真理子が端的に口にしているのが興味深いと思った。

 

何かを「美しい」と感じるには、まずロジカルなものがなくてはならないと思っている。少なくとも私にとってはそうなのであって、理屈もへったくれもなく「きれいだなー」というものではない。

 

ところが、ごくごく一般的には、「きれいだなー」というのが「美しい」「美」だと思われている。これは世間にあふれている宣伝や雑誌の類を見ると一目瞭然だ。

 

言い方を変えると、あるものを目の前にして、考えたりかみ砕いたりすることが手間なので、そんなものは省略して、「きれいだなー」でお手軽に片づけてしまっているだけのところを、真面目な顔で「美」と言って乙に済ましている場合が非常に多い。

 

そういう世上の空気、物を考えるのが面倒なのでひたすらそれだけは避けたがる空気を、新元号は、あるいはそれにまつわる言説はよく表しているなあ、と思っている。

 

政治的にどうこうという問題がないとは私も思わないが、それ以前の問題として、なるほどこれが今の日本人の空気なのだと、改めて感じ入っている次第だ。

病院のテレビで、新元号発表騒ぎの一部始終を見た。

 
ネットでは、新元号の意味や出典などなどについて議論しているが、なんでこれがおめでたいこととされているのかが、テレビを見ていた私には全く理解できなかった。
 
ハンコ屋さんなど直接的に影響を受ける人たちはともかく、総じて元号から無理矢理ビジネスにつなげたい人たちの話ばかりで、だからおめでたいのかとしか思えない。
 
多分それに付随すると思うが、なんでマスコミが新元号を必死でスクープしたがるのかがそもそも理解できない。他社に先駆けて新元号を報じようとすることに、どういう意味があるのか。

 

元号のために1分1秒を競うことにいったい何の意味があるか。官房長官記者会見を私は見なかったけれど、見なくてもなにも困らなかった。
 
もっと報じるべき問題は他にいくらでもあるだろう。
 
そしてこのマスコミの洪水のような報じられ方に、一般の人たちも大きく影響を受けていることがよく分かった。全く無批判のままだ。
 
元号の問題は、天皇の問題と直結する。ネットのおしゃべり雀たちは一応字が読めて書ける程度の知性があるんだったら、もうちょっと根本的な疑問を持った方がよいのではないかと思う。
  
天皇のことになると考えがとまって流される空気が私はイヤだ。

うっかりこういうtweetを見つけた。

https://twitter.com/Uriel625/status/1110878091553857537

🌸Uriel 🌸 @Uriel625
返信先: @Uriel625さん、@joker_sburnさん
2017年:イタリアでワクチン接種義務化⇒https://www.afpbb.com/articles/-/3128922?act=all
2018年:反ワクチン政党によって義務化廃止⇒

https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/11/anti-vaxxers_a_23523492/
2019年:反ワクチン政権誕生後のイタリアを中心に、麻疹アウトブレイクアメリカにも飛び火⇒https://t.co/IVvlAmk4RI

2017年のワクチン接種義務化というのはLorenzin大臣が熱心に導入したものだというのは知っているが、あとの二つがよく分からない。

 

というのも、アンチワクチングループが非常にうるさい、程度のことなら知っていても、あまりにもバカバカしいので、こんな議論はまともに追っかけていない。でも、義務化を廃止なんて聞いたことがないな。。。

 

ということで、リンクされている記事を見る。

反ワクチン派の政党が政権をとったイタリアで今、起きていること | ハフポスト

五つ星運動は3月のイタリア総選挙で、ワクチン接種の義務化に反対する公約を掲げて勝利し、2018年8月、ワクチン接種に関する政令を廃止する法案が可決された。

え、そうだったの?と思って調べてみたが、義務化を廃止したという話はどこにも見当たらなかった。これは何のことを言っているか分からないんだが、若干の制度改正はあったようであるけれども、たぶんそのことなんだろう。義務化は廃止していない。(無論、私はイタリアのワクチン事情を追ってないので、間違っていれば教えてもらいたい)

 

五つ星運動の支持者たちが強いアンチ・ワクチン傾向を持っていたことは間違いなくて、記事にもあるようにベッペ・グリッロも無茶苦茶言っていたように思うが、なにせ関心がなかったので全く記憶にない。

 

ただ、五つ星運動も全員がアンチワクチンというわけではなく、中に医者がいたりして、必ずしも一枚岩ではない。

 

この1月、元首相のマッテーオ・レンツィとベッペ・グリッロが覚書を交わしたことは記憶に新しい。それは科学に関するもので、科学は人類の進歩の普遍的価値を有することなど5点挙げられている。

Grillo firma il patto pro-vax di Burioni: "Io contro? Polemica da terrapiattisti". E Di Maio prende le distanze - Repubblica.it

 

その2点目に、疑似科学や疑似医療を支持しないという項目がありそこに「アンチ・ワクチン主義」が例示されている。

 

当然、五つ星運動内から裏切りだという声が出たが、グリッロは「自分はワクチンの義務化に反対しただけで、これは政治問題の範疇だが、ワクチン自体には反対していない」と、舌をペロリと出して開き直ってしまっている。

 

さて次の記事だが。

反ワクチン地域ではしかアウトブレイク。州知事が非常事態宣言(米) | ギズモード・ジャパン

反ワクチン政権誕生のイタリアを中心にはしかが大流行し、上半期だけで4万人以上が感染して死者も出た昨年の欧州に続き

 

英語版で確認すると、

https://gizmodo.com/measles-outbreak-worsens-in-washington-as-governor-decl-1832087781

"Italy"や"ital"で調べても、反ワクチン政権がどうのという部分は引っかからなかった。ざっくり見ても、そういう部分はなさそうである(見落としかもしれないのであったら教えて欲しい)

 

ちなみに、イタリアのはしかの患者数は2017年が3501件(

Allarme morbillo, due morti a gennaio)、2018年が2526件(

https://www.epicentro.iss.it/morbillo/aggiornamenti)だそうだ。

 

つまり、「反ワクチン政権」とはしかの流行とは関係がなかった。

 

・・・

 

私は五つ星運動に極めて懐疑的で(このところ五つ星運動の支持率が落ちてきて結構だと思っているが、その代わり北部同盟の支持率が高止まりしていて往生している)、アンチワクチン運動もバカらしいと思っているが、こういうイタリア情報は大いに問題があるだろう。

 

もちろん、悪いのはtweet主のUrielさんではなくて、こういう記事を書いて、かつ日本語で出している媒体が一番悪い。 

 

特に英語圏からイタリアに関する情報をとるのは注意した方がよいのは以前から書いている通りで、基本的にアルプスから北の連中はイタリアをバカにしているのだが、とりわけ英語圏の人間の偏見はあまりにひどい。それがこういうところに出ているんじゃないだろうか。

徳島文理大学総合政策学部の教授であらせられる八幡和郎が、国際日本文化研究センターのしがない助教呉座勇一を、肩書一本で見下し始めて、いよいよ学者連中をキレさせている。

 

いやあ、こういうおっさん、いるよねぇ。

 

風邪で寝込んでいる私の退屈しのぎにちょうどいい見せ物になっている。

 

うちの近所にも、たかだか自治会長だというだけで鼻高々のおっさんというのがいて、八幡と変わらない。

 

そうでなくても、街場の文化講座から小中高校まで「先生」と呼ばれる人たちというのはむやみに威張りたがるものらしくて、飲み屋では嫌われている。

 

・・・

 

八幡で気持ち悪いのは、去年の自民党総裁選挙の直前に、保守派がいきなり池上彰を批判した一件で、高橋洋一、八幡和郎、有本香、百田尚樹あたりが一斉砲撃していた。あれは気持ち悪かった。 

 

要するに、裏で糸を引いているのがいるわけで、それが彼らの資金源になっているわけでしょう?

 

八幡を叩くならここを叩きたいんだけどねぇ。誰かやってくれないものかなぁ。