ポピュリズムを経済要因だけで語ることができるかというと、きっとそうではないのだろう。

 

ファシズムが経済要因だけでは説明できず、他の社会的・文化的・心理的背景(時に文明史的背景)を考慮に入れないといけないのと同じことだ。

 

逆に経済要因だけでもなんとかしたら、ファシズムにはならなかったかというと、これがよく分からないが、ファシズムにならなくても、なんか別の変な事態になっていたんじゃないか。ようは、経済問題だけで云々できるほど、単純な問題ではない、ということは言えそうに思っている。

 

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ポピュリズムというとすぐ、ドナルド・トランプとかBrexitとかとイメージが直結して、たとえば「排外主義」といった要素が直ちに思い浮かぶ。つまり、右派による扇動というわけだけれども、ポピュリズムは必ずしも右派のものだけではない。

 

イタリアの五つ星運動は立派なポピュリズムだと思うが、あれは右派のものかと言うとそう簡単に言えなくて、左派に近い部分もある。

 

五つ星運動で面白いのは、むしろそういう政治的党派性の色合いを表向き薄めて、「市民”cittadino”」を前面に押し出したところがポイントだったように私は思っている。だから、右でも左でも、世間に受けさえすれば何でも来い、という面がある。

 

逆に右でも左でも、既成の政党は基本的に断固拒絶する。だからベルルスコーニはもちろんのこと、民主党とも連立はできない、という話になる。

 

あとイタリアの文脈では、たまにこの種の政治団体が噴出することがある。戦後直後にもそういう運動があったし、ベルルスコーニが政治家になったときに「一代で財を成した叩き上げの実業家」というのが大きなセールスポイントになったのは、「非職業的政治家」だからで、これもやっぱり同じ文脈で考えられるんだろう。

 

いずれにせよ、ポピュリズムというのは、右派に限ったことではない。左派もポピュリズムがあるわけで、そこを無視すると、やっぱり党派性に堕した下らない議論になってしまうんじゃないかと思う。