私はポピュリズムが大嫌いで、「もっと真面目にやらんかい!」といつも思うのだが、左派ポピュリストが障害者を担いだ件は、みんな本当にどうかしていると、腹立たしい思いが拭い去れないでいる。

 

ネットで一番言われているのは、

 

「それでも、国会が障害者対応でバリアフリー化するだけでもすごいことだ」

 

と「功績」として認める人が少なくないことだ。これは全く間違っている。

 

まず第一に、今までに車いすの議員も大臣もいた。だから、その程度のバリアフリー化はすでに達成されているはずだ。

 

第二に、ハード面でバリアフリー化したとしても、身体に重い障害のある障害者や重篤な病気を抱える人を受け入れられるかどうかは、全く別の話だということがほとんど理解されていない。

 

障害がある人には、その障害の部分さえカバーしてやったら健常者と同じように活動できるという人もいるだろうが、左派ポピュリストが担ぎ上げた人たちはそういう次元を超えている。

 

私は身の回りの問題に向き合っていて、施設が完璧にバリアフリー化しても、受け入れられないものは受け入れられない、できないものはできないと、はっきり断らねばならない場面があるということを知っている。

 

介助・介護が付けばそれでいい、という問題ですらない。特にALSの患者さんは、今後進行することも考えられるわけで、そうなる時にどこまで議員としての職務が全うできるのだろうか。

 

仕事以前の問題として、たぶん生きることそれ自体が大変になってくるのではないかと思うが、どうだろう。

 

いずれにせよ、ハード面の改善や、介助人をつけさえすればよい、という安易な発想は無責任にすぎるし、それをもって「功績」とするのは論外だとしか言いようがない。

 

第三に、「障害者」というだけで下駄をはかされすぎているということだ。

 

障害のある人たちの苦労が大きいのは分かる。いろんな現実があってそれを直接国政に伝えるべきだというのも理解できる。

 

しかし、そのことと、障害がある人が議員にふさわしいかどうかは全く別問題だ。

 

無論、今後をよく見ないといけない問題には違いないが、世間では「障害者」と言うだけであまりにも無条件に甘くなる。それに私は全く反対だ。このことは以前も書いた。

 

最後に、結局、障害者を利用しているだけではないかということに尽きる。

 

本人が納得しているからいいではないか、という意見が分からないわけではないが、それは障害のある人に対して真面目な態度ではないと健常者である私は思う。そういう態度は私は絶対に取りたくない。

 

・・・

 

「障害者」というだけで感激する人間が多いのに、私は白けた思いをしている。

 

しかもこれが、左派の所業なので、いくら何でもこれはないだろうとしか言いようがない。

 

右派のポピュリズムに私は明確に反対するが、左派のこのような所業にも全く反対だし、ポピュリズム競争をこれで加速させてどうするのかと思う。

 

日本にも、ポピュリズムや、有権者が甘やかされている状態をもっと批判する人がいてもおかしくない。ポピュリズム競争で、まだましな方を選択しろと言われても、私はそんな選択をする気は一切ない。

 

かつて冷戦時代に、インドロ・モンタネッリが、「鼻をつまんででも」DCに投票しようと書いたことがあったように思うが、私はそこまでする気にすらならない。