これは国境を超えると思うが、政治がらみの話で一番イヤなのは、

「あんた、今与党のそれ褒めてるの、与党を支持してるからってだけで、野党が主張したらボロクソに言うだろう」

とか、

「あんた、今野党のそれを褒めてるの、野党を支持してるからってだけで、与党が主張したらボロクソに言うだろう」

ということだ。

党派的に最初から答えが決まっているから、自分で考えているつもりで何も考えていない、こういう反応が出てくるのだと思うが、

「政治なんてそんなものだろう」

と言われたら、それまでかもしれない。

でも、政治的な対立はどこかで収斂していかないと意味をなさない。イタリアのジョルジョ・ナポリターノ大統領が議会での演説で「民主主義の弁証法」という言い方をしていたのはそういうことだろう。

話が脱線するが、ナポリターノ大統領はもともとイタリア共産党出身だが、共産党の右派に属しており、先の演説でも、自分は民主主義建設のための礎を築くように努力してきたというようなことを言っている。イタリア共産党は戦前戦中からの反ファシズム活動などの影響で、ゴリゴリの共産主義者だけを受け入れていたのではなく、かなり幅広い人材を吸収しており、社会民主主義に接近する向きもあったわけで、「共産党」と言っても一口には言えない。保守派の塩野七生の好きな政治家の一人が、イタリア共産党右派のジョルジョ・アメンドラであることからも、いろいろ察することができる。

それはさておき、こういう不毛な政治的な対立的言説(うるさい方が勝つ)の外には、日々の生活に忙しい大多数の「普通の」人々がいる。

私は、こういう「普通の」人々が良識的であるとも良心的であるとも思っていないし、全く信用してもいない。

さてどうしようか、というところでいつも話がとまる。仕方がないので、私の身の回りの世界だけでも、という努力しかしないことにする。くだらない党派性の高い議論をするより、そっちのほうが現実的で性にあっている。