自民党―「一強」の実像 (中公新書)

自民党―「一強」の実像 (中公新書)

現在の自民党の組織運営を解きながら、主に80年代以降、時に結党からの変遷を通時的に語り起こしていく語り口が際立っている良書だ。かつ、図表なども豊富であって、変化が一目瞭然で分かるようになっている。

いろんな刺激を受けたけれども、一番面白かったのが、終章に書かれた、小泉純一郎と比較しながら、安倍自民党の性格を浮き彫りにしたところで、これはなるほどと思った。そもそも、政治家としての背景が二人は大きく違っており、その違いが首相になったときに大きく反映している。

小泉の初当選は72年で角福戦争の前夜だった。敵は田中派。総裁選挙の時に「自民党をぶっ潰す」と言ったのは、田中派経世会潰しのことだというのはよく知られている。良くも悪くも、この背景が小泉首相を一貫して説明しうる。

それに対して、安倍晋三の初当選は93年、非自民連立政権が成立したときで、野党議員として政治家人生をスタートさせた。そこで安倍にとって主要な課題となったのは、いかに自民党が政権与党の座に居続けるようにするかという問題だ。自社さ連立政権は、自民党が政権を取り戻すためにやむなく賛成したが、しかし理念としては安倍の考えに合致しないので危機感を抱く。こうして中川昭一とともに右派の若手グループの代表として名乗りを上げ、のちの創生「日本」へと続く。

2003年に、安倍は幹事長として総選挙を迎えるが、民主党の躍進を許し、幹事長代理に降格。ここで、組織としての方針と対策を練るが、ここで主要な敵は民主党だった。

第一次安倍内閣は失敗だったが、自民党が野党に転落しても、民主党との対抗上、理念としての右、自民党らしさを訴えることの重要性を強調する。

さらに小泉と安倍を対比させると、小泉は党内の敵を「抵抗勢力」と呼んで叩き潰したが、安倍にとっての敵は党の外にある民主党だ。

小泉は本当に自民党をぶっ潰して、地方組織も弱体化させたが、安倍はその反省から組織力を生かすことを考える。

だから、小泉は人事においても排除的だが、安倍は党内融和的だ。

小泉は、都市部の無党派層の支持を狙ったが、安倍には小泉のようなポピュリストとしての才覚はないので、友好団体などの組織票に重きを置く。かといって無党派層を無視するわけではなく、また自民党の友好団体などの組織の力の衰退傾向は止められるわけでもない。

それでも安倍が選挙で勝ててしまうのは、野党が分裂している状態で、小選挙区で選挙をすると組織力に勝る自民党が過大な議席を得てしまうからだ。

・・・というまとめ方でいいのだろうか。この本を読んで、少なくとも私は、安倍晋三という人が復活して長期政権を担うことができた、歴史的理由のようなものを感得したような気がしている。

・・・

ここから敷衍すると、安倍は右派理念の重要性を認識して、これを結着剤にしている。敵が民主党だったので、左派を攻撃する必要があったからだ。そこで自民党を支持すると必然的に彼の右派理念に引きずられることになる。ネットがここまで右傾化しているのも、安倍政権の長期化と軌を一にするのではないか。

こんなことでいいわけではないので、当然、左派の理念ができて、この理念にまとまらないといけない。「反自民」という括りで雑多に寄せ集めるのではなくて、自民党の左派が割って出てくるくらいでないといけない。

日本の左派に理念があるかどうかよく分からない。ただ立憲民主党枝野幸男が、自分こそ保守だ、昔であれば自分は自民党宏池会、と右サイドにアピールする意図は分からないでもないが、支持者にとって理念が不明確になるだけであり、他方で右は右で「○○革命(人間革命と言い出さないだけまだましだけど)」と言いたがるあたり、右派・左派の理念の整理が必要なのではないかという気が多分にする。

個人的には今のような右・左のくくられ方に納得できないし、納得していない。

たとえば安倍の右派理念から導き出される、第二次大戦に対する態度に私は全く反対だ。戦争経験があってこそ、今の日本があるが、もしあの戦争の反省に立脚しない、もう反省したくないというのであれば、今まで日本人が稼いだ財産を全部吐き出して、焼け跡からやり直すか、もう一度アメリカを相手に戦争して勝つか、どっちかやれるものならやってみろと思う。

他方で、左派の憲法9条に対する態度は話にならない。私はイタリアに縁があるが、たしか以前、日本共産党が同じ敗戦国であるイタリアの憲法から、日本の憲法9条に近い条文を引用して、9条を守れと主張した記事があったように思う。これがいい加減な引用で、そのあとの条文を省略して紹介するうえ、そもそもイタリアには憲法に軍に関する規定がある。大統領は軍の最高司令官であり、国防最高会議の議長であり、戦争状態の宣言ができる。日本で、こんな規定を憲法に入れようなどととてもじゃないが主張できない。しかし私はイタリア憲法のほうが当然だと思う。

このあたりを整理しないことにはどうにもならない。

とりわけ、安倍が右派理念を強調することに歴史的な必然性があるのであれば、なおさらのこと左派はこれに対抗しなければならず、そうなると理念の整理がまず必要なのではないだろうか。