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 PsycheRadio @marxindo


「自分は何をやりたいのか」「自分は何のために生きるのか」なんてことを考えなくていいほうがみんな幸せなんじゃないかと思うラジよ。

確かにそうかもしれないが、その代わり、そういうことは別の人が考えているものだ。その別の人が「お前はこれをしておけ」「これのために生きているのだ」と教えてくれる、ということ になるだろう。楽には違いない。

 

しかし、それで本当にいいのだろうか。

 

「自分は本当は何をやりたいか」というのは、その人自身の本性に根差す問題のはずで、その人自身が植物のように少しずつ成長させていくべき話でもあると私は思う。ある意味、「治療効果」もあり得るように感じている。

 

だから私は、子供とも大人とも話をするときは、その人が何をしたいのか、どんなに小さくてもくだらなくてもいいので、それを話してもらおうとすることが多い。そこに、その人自身のなにごとかが現れるはずだと信じるからだ。

 

同じことは「自分は何のために生きているか」という問題にも言える。この問題は人間しか考えられないはずで、人間が人間らしく生きるには必須だろう。

 

これらの問題は重いので、まともに向き合うとしんどいということは理解できる。

 

しかし、そこから逃げていては、人間らしく生きることはできないのではないか。私はそう思っている。