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前にも書いたような気がするが、「衣食足りて礼節を知る」というのは、衣食だけを最優先してはダメで、倫理(礼節)も同時に追求する必要があるだろう、と思っている。
ネットでこういうことを言うとたいてい、「そんなのんきなことを言うのは、すでに衣食が足りているからだ、お前は金持ちだからだ」云々という返事が、あらゆる意味で貧しい「庶民様」どもから返ってくるのが定番となっているが、とんでもないことだと思う。
戦後直後のように、生きるためには何をしてでも、というような状況下ならともかく、あるいはそういう状況下であるならなおさらかもしれないが、現在のような状況で倫理の問題を閑却して、「衣食」の問題だけを追求していていいとは到底思えない。
というのも、たとえ金持ちであっても、それがそのまま幸せにつながるかというと、決してそういうわけではなく、金持ちと言うほどでなくとも、生活が満ち足りていればそのまま幸せだというわけでも決してないからだ。人間はそれほど単純にはできていない。
幸せに生きようと思ったら、倫理上の問題を常にどこかで抱えながら生きていないといけない。
カネがいくらあったところで、それをどのように使うかという問題を考え始めた瞬間に、倫理上の問題が頭をもたげてくる。
カネを稼ぐ面では、ましてや当然で、倫理観念抜きにしてなにもできない。
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さらに、それに加えて、「衣食」だけを心配して追求した結果が、今の状況ではないんですか、と言いたい。
労働条件の悪化等々の問題について、ネットでよく見るけれども、これは「衣食」を追求するだけでは絶対に解決しない。
そこだけを心配していると、雇用者が圧倒的に立場が強いため、労働者の側に抵抗力が出てこない。
「衣食」の問題に加えて、「礼節」(倫理)の問題を合わせて、同時に追求しないと、強い対抗力が出てこない。
だから、私なぞ、ネットを見ていて、「日本の労働者はなんてちょろいんだ、使用者側はこれは楽すぎるんじゃないかなあ」と思うことが、度々ある。
倫理を追求することは、立場の弱いものに資する場面が多々あるはずではないか。
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こういうことを書くのは、倫理の問題を後回しにする風潮が気にくわないからだ。
もちろん、何をしたって食えればいいという立場や考えは大いにあり得る。
しかし、目の前の現実から突き付けられたさまざまな問題に対して、倫理の面からも物を考えない、あるいはあまりにも安易に考えてそれで済んだことにしてしまうような態度は、私はとりたくない。
ああでもない、こうでもない、難しいなあ、どうしようか、と少なくとも悩まないといけない。私はそう思う。
だから、倫理の問題を簡単に考えて、それで済ませた気になっている人たちを見ると、ともに語るに足らない連中だと思うし、あるいはまた、心からの軽蔑心も湧いてこようものだ。