周りを見回していて、「あんたの狭い世界観や価値観を他人や子供に押し付けるなよなあ」と思うことが非常に多い。

 

子供は親に対して立場が弱く、生死に関わるので、この「狭い世界観や価値観の押し付け」が大変に起きやすい。

 

その結果としていろいろな問題が発生するのだが、これは引きこもりや不登校という目に見えやすい結果になるならまだしも、そうはならず、世間的には優秀で、一見活躍している人が「狭い世界観や価値観」の檻に閉じ込めさせられてしまって苦しんでいる場合も少なくない。

 

もちろん、親子関係だけではなく、広く社会を見渡しても、そういう話にあふれかえっている。

 

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なぜこういうことになるか。答えは容易に出ないが、今の日本人は「人間とはどういう生き物か」という問題を徹底的に考えていないのではないか、とはよく思う。

 

過去を振り返るとそういうことが全くなかったわけではなく、たとえば浄瑠璃のよくある悲劇で「もっともじゃ、もっともじゃ」と泣き落としに入る時に、その「もっとも」には、「人間ならばそう感じてもっともだ、当然だ」という、人間に対する洞察がそれなりにある。その洞察は、もちろん時代や社会に制約されている面があるわけだけれども、そのうえで、「人間」そのものに通ずる何かを感じるので、だから聞いているほうも「もっともじゃ、もっともじゃ」と共感できる。

 

したがって、歴史的に「人間とはどういう生き物か」を考えたことが一切ないとは思わないが、しかし今の日本人にそういう洞察が大きく欠如しているようにしか、私には見えない。

 

だから、親子関係でも、社会における様々な場面でも、他人に「狭い世界観や価値観」を押し付けたうえ、功利的にしか考えられないし、そういう人間たちに対して、

 

「いや、違う、自分はそうじゃない」

 

という対抗力、抵抗力が出てこない。

 

人間はどういう生き物なのだろうか。答えはでないけれども、そういう疑問を抱えながら生きていきたいし、そういう疑問がもっと広く持たれるべきだとも思っている。