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大山加奈@kanakanabun

いま部活指導などで
いろんなチームをまわっていて
とても気になるのが
過度なあいさつと過度な返事…

強要しすぎ。
そしてそういったあいさつや
返事をするチームや選手を
立派だと思っている大人が多すぎ。

これは部活だけではない。私の近所の高校も、全校的にこれをやっていて、たとえばその学校の生徒が近隣の清掃をやるときに私が通りかかると、生徒がわざわざ手を止めて、起立したうえで「こんにちは」と私に対して礼をしたりする。

この学校は、偏差値的には真ん中よりやや下の学校で、最低でも挨拶程度は身につけさせないと社会生活が送れないという考えがあるのかもしれない。

ただ、いかにも機械的で、挨拶される方は気持ちが悪い。同じ年代の他校の子供たちに聞いてみても、変だという。

私は、そういうあいさつをされるたびに、

「そんなんせんでええ、もっと普通にせえ、普通に」

と言いまわることにしている。

しかし問題はそれだけではない。

こういう挨拶や返事の強要は、他の高校の吹奏楽部の練習でも私は見たことがあるが、先生が指示を出すたびに子供たちが「はい」と返事しても、大事なのは返事ではなくて、その指導の通りにできるかどうかであるはずなのに、そういう疑問を誰も感じていなさそうなのが非常に問題だと思う。

つまり、この挨拶や返事の強要は、単に指導者による、よく言えばグループの取りまとめの方法、悪く言えば権力行使の確認になっているわけで、だから余計に気持ちが悪い。

実際、挨拶しろと指導する学校の先生たちの横柄ぶりや愚劣さを私は横目に見ながら知っているので、公務員である先生や指導者たちは自分の持っている小さな権力に酔って勘違いしているのではないかと強く疑っている。

のみならず、挨拶の仕方を理由に、子供を差別待遇している、という話まで私は聞いている。

ところが、現実にはこういう問題は一切疑問に思われず、同窓会・OB会の会長が「挨拶の励行」を鼻高々に自慢している始末で、

「それ、ちょっと違うと思います」

と面と向かって言ってもいいが、そういうタイミングがなかなかない。

・・・

このブログのテーマの一つと言ってもいいのかもしれないが、人間とは何か、人間とはどういう生き物か、ということを、もっともっとよく考えないといけない。

人間は機械ではない。こういう学校や指導を許容する日本社会は、人間についての考え方がどこか歪んでいるように私には思われる。