リベラル・左派憎さで、「減税をするトランプは素晴らしい」とか言ってた人、鉄鋼とアルミニウムの関税を上げようというトランプにはどういう態度をとるんだろうか。これがトランプなのに。

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倫理観と正義感で「こうすべきだ」と人に自分の考えを押し付けて、あるいは他人を断ずるのは、確かに「他人を裁くときには自分を裁いている」のだという意識が必要だろうと思う。

個人的にも、勝手な倫理観の押し付けには辟易するところだ。

ただ、問題は、だからと言って倫理観は各人で違うのだからと開き直っていいのかという問題は残る。

少なくとも、そこに難しいバランスがありそうだということは、自覚しておく必要はあるのではないだろうか。

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3月1日付の吉崎達彦の「かんべえの不規則発言」にこうあった。

資源ビジネスというのは不思議なものです。「19××年には枯渇する」と言われていたものが、不思議とまだ持続していたりする。人間は愚かな存在ではありますが、意外と何とかなっている。あるいは市場メカニズムとは、たいしたものだということもできる。その点、確実に判断を誤るのは「賢い人たち」ですわな。意識高い系の人たちの判断は、なんであんなに間違えるんでしょう。地球温暖化の問題なども、きっとそうなんじゃないかなあ。

「意識高い系の人たちの判断は、なんであんなに間違えるんでしょう」とあるが、そもそも資源は有限であることは間違いなく、いずれ枯渇する。

「意識高い系の人たち」がそういうアラームを鳴らすから、(少なくとも当面の間だけは)「意外と何とかなる」ような方向に話が進む、という面もあるだろうと思う。

もしも「意識高い系の人たち」がアラームを鳴らさなかったら、資源が枯渇する時期が早まってしまうかもしれない。

そういう考え方では、ダメなんだろうか。「意識高い系の人たち」は「判断」を「間違える」と言わなきゃならないんだろうか。