東南アジアのリゾートホテルに泊まった。そこで驚いたのは、日本人向けの日本語カウンターがあったことだ。確かに、宿泊客には日本人が非常に多かった。

しかし私が驚いたのは、日本人向けサービスが行き届いていることではなくて、別枠で相手をしないといけない程度に日本人が浮いてしまっているらしいことだ。

その日本語カウンターでは、チェックイン・チェックアウトの手続きはもちろん、今日はどこに行けばいいかという情けないことまで話されているようだ。

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そこで、古いイギリスの友人と再会した。優秀な学者である彼は、日本人女性と結婚して子供ができて幸せにやっているものと思っていた。

「奥さんはどうだい?」

と聞くと、渋い顔をする。彼の話を総合すると、この奥さんは現地の日本人会に入り浸って、何でも日本人会の奥さんと相談するらしい。

それはいいんだが、もともと英語ができたのに、英語を使う頻度が激減したので英語が下手になってしまい、夫とコミュニケーションがとれなくなった。

それだけではなく、日本人会の日本人の価値観に妻自身のみならず、子供まで染められるのが、友人には耐えられない。

私には全く理解できないのだが、日本人会のヒエラルキーの中だとトップは外交官の奥さん、次に商社マンの奥さんで、外国人を夫に持つ女性は、端的に差別されるはずだ。外国人を夫に持つ日本人女性が、なぜ好き好んで差別されるようなところに入り浸るのか、これが全く理解できない。

友人は優秀な学者だが、日本人会の中で言えば単なる「外人」であって、彼の奥さんは自分の夫の立派さが分からなくなっている。

こんなことになっているとは私は思わなかった。かつて、日本人の彼女がいるんだと幸せそうにしていた印象しか、私にはなかったのだ。

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結局、日本人は、自分たちの狭い価値観・世界観を当然だと思っているが、それ以外の世界観や価値観があることを知らないし、あるいは知っているにしても自分たちとは無縁のものとしか思っていない。

日本国内でも、狭い価値観同士でつるんで、狭い世界観の中でやり取りして、それで嬉しがっているばかりではないか。

それでいいわけがないんだが、しかし狭い世界観、狭い価値観に閉じこもっているほうが、当人としては幸せだろう。それで充分幸せなのに、これ以上、なにをどうしろというのだろう。

ただ、私はそれは嫌だし、そういう日本人が大嫌いだ。