私がリフレ派に対して厳しい姿勢をとり始めてずいぶん経っているが、一番最初はリフレってのはなんだ、面白いなぁと思ったほうだった。

 

当初、リフレを宣伝していたのは経済学者にとどまらなかった。いちいち名前は上げないがネットではそれなりに知られた人の中にもリフレを推す人は少なくなかった。

 

それで現在。

 

この人たちは今の現状をどう考えているかと思うんだけれども(いつまでも消費税のせいにもできないし)、しかしまず経済学者以外の人たちについて、これは大学レベルで経済学を勉強した人も含めて、とことんまで責めることができるかというと、それは無理だと思う。

 

なぜなら、彼らは所詮素人であって、専門家の受け売りをしているにすぎないからだ。

 

もちろん、素人なりの自制がどう見ても欠落していた人が多かったことにまず問題があり、これがこのブログでとりあげてきた「ネット〇〇派」の話につながる。

 

いい加減な議論でいまだにお茶を濁しているこの半可通たちに、文句を言ってやりたい気分は大いにある。

 

ただ、それでもとことんまで言ってやれるかとなると、それはアンフェアだろう。

 

・・・

 

しかしそれ以上に問題なのは経済学者たちで、とくにノーベル経済学賞を受賞したクラスの学者、FRBの議長をした学者、あるいは元イェール大学の教授などなどといった面々の責任は、素人目に見てもすこぶる大きい。

 

私のような無学はもちろんのこと、経済学を多少かじった人にしても、どうしてこういう人たちに対してまともに反論することができるだろうか。絶対に無理だ。

 

にもかかわらず、彼らは明らかに自分の権威を利用して世間に自分の議論を喧伝していたわけで、その自分の議論にどこまで責任をもっているか、自分の議論を実際に実行した時の責任についてどう考えるか、誰も何とも全く言わず、むしろ高みの見物で講釈を垂れることに終始するあたりのこの無責任さが一番の問題だろう。

 

本当であれば、日本のことをよく知っているはずの日本の経済学者がきちんと吟味するべきで、実際そういう議論はあったような記憶があるけれども、権威の力には所詮、太刀打ちできなかった、ということなのだろうか。私にはよく分からない。

 

また現状においてどのように総括するかという問題が当然出てくるはずであって、これも議論されているようだけれども、しかし首相の面子がかかってしまっている以上、どうしてもまともな議論を表立って展開することは不可能になってしまっている。

 

こんなことでいいのだろうか。いいわけがない。

 

・・・

 

素人とはいえ、ネット上でそれなりの影響力を持った人々がのせられてしまったこと、そのことについて反省が必要だと思うが(これは他人ごとではない)、しかし問題の大本はそこにはない。

 

ある政策を実行するとして、その責任は一応、政治家に帰するだろう。しかし、その政策を提唱した専門家(集団)の責任は当然あるはずであって、吟味・検証をしないといけない。

 

いつも書くように、学者の議論はあくまでも机上のものだ。それを実際に現実に実行することとは話が全く別だ。それが現実と関わり合う、ということだと私は思うが、学者という人間はそういうふうには考えられないものなのだろうか。

 

(追記)

書くのを忘れていたが、元財務省という人もプロパガンダに一役買っていた。統計の扱いが無茶苦茶なのを、某ブログでも随分批判していたが、身元が露見することを恐れて、そのブログは閉じてしまった。私も、分かる範囲でおかしいものはおかしいと書いたように思う。

 

この人の場合、世間遊泳術としてリフレ論を使っただけなのが明らかで、それがうまく行ったわけだけれども、しかしこの期に及んでまだあれを信用する人がいるというのが私にはとても信じられない。