梅原猛が死んだ。私は全く良い読者ではなくて、せいぜい「仏教の思想」を通読したくらいしかない。

 

ホラ吹きの梅原は多面的な活動をしていて、全体の評価はどうなるのか知らないが、少なくとも学問的にはどうにもならないものだろうとは思っている。

(もっとも、梅原の著作は全部どころかほとんど読んでないので断定はしない。今後、わざわざ梅原を読む時間があるかどうか。たぶん、そんな時間はない)

(「ホラ吹き」と言うのは必ずしも批判的な意味とは限らない。私の勝手な印象では、京都の学者には「ホラ吹き」の系統があり、あるいはかつての京都に「ホラ吹き」を醸成する空気があり、その部分だけ、と言ってはあれだけれども、京都の「ホラ吹き」成分を大きくしたのが梅原だ。「ホラ吹き」のホラは真面目に受け取ってはならない。「おーおー、またホラ吹きがデカい駄ボラを吹いとるわい」と笑って読まないといけない。しかしホラはホラなので、当然批判される。ここで急いで付け足すが、もちろん、京都の学者がみな「ホラ吹き」かと言うと断じてそんなことはないわけで、そんなことを言おうものなら真面目なプロフェッサーたちから大目玉を食らってしまう)

 

ただ、次の記事を読んでびっくりした。

【梅原猛さん死去】疑い、仮説立てる「勇気」と「好奇心」 - 産経ニュース

梅原の「隠された十字架」や「水底の歌」について、

 現在では、高く評価されるが当初は、古代史や国文学の研究者からは反発、黙殺される。だが、時間とともに徹底した現地調査と資料研究に基づいた梅原さんの説を多くの学者が受け入れるようになる。

そうなの???

 

いや、ここのところ、はっきりさせておいた方がいいんじゃないんですか???