https://twitter.com/itokenstein/status/1027445573832650752

Ken ITO 伊東 乾
政治的スタンス みたいなものはどうでもいい。右派でも左派でも、日本の都市と日本人が生きた実験台として「正確な比較対照のための実験素材」モルモット都市として核兵器破壊され、効果検証されたという事実を是とする日本人が居られたら、意見を伺ってみたい。私は絶対悪としか認めません

イトケン先生の言いたいこと自体は分かるんだけれども、今の日本を見ていると、こういう主張のもう一面が悪用されてきたのではないかと私は強く疑っている。

「絶対悪としての原子爆弾」によって「モルモット」代わりに人間が実験材料に使われたと言って、結局、日本人は第二次大戦における自分たちの被害者の側面のみを強調し是認するようになってしまったのではないか、その空気や感覚を強めるようにしか、「原子爆弾=絶対悪」という言説は機能していないのではないか。

同種のことは都市の大規模空爆による無差別殺人についても言えて、「自分は悪くない」という感覚と自己憐憫を強化するためのネタとしてこの種の話が使われているのではないか。

とくに、戦争の現実を実体験として持つ人がいなくなっている現在、その種の風潮はただひたすら強まっているだけではないか。

このように私は疑っている。

言い方を変えると、「原子爆弾=絶対悪」という言説はその裏面に、日本の戦争犯罪や歴史的経過についてのまともな認識がないと、全く意味をなさない。

ところが、現在の日本では、その肝心の歴史に対する知識や認識が全く欠如していると言わざるを得ない現実があるうえ、いわば「日本すげー」流に、日本人アイデンティティを無反省に強化し、あるいは自己憐憫に引きこもる空気が強い。

それだったら、「原子爆弾=絶対悪」という言説はいっそ言わないほうがましではないか。

むしろ、日本人がいかに愚劣(だった)かということを、今一度、再確認することが必要ではないか。

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近所の護国神社の看板に、「英霊に感謝」という言葉が書かれてあるのを見て、反吐が出そうになった。

「英霊に感謝」、何をどうやって感謝しろというのか。

「あなた方が死んでくれたおかげで、今の平和と経済的繁栄が」とでもいうのか。ウソを付け。

「英霊」は死んだところで、我々は何も獲得しなかった。なんの平和の礎にもならなかった。彼らは愚かな戦争に付き合わされ、ただただ無駄死にをしただけだった。

ただ、彼らの無駄死にを前提として、戦後の日本が構築された結果、たまたま平和と経済的繁栄が訪れたにすぎない。

たぶん、戦争を実体験として知っている世代は、死んだ人たちに対して贖罪意識が強くあった。あの人たちは死んでしまったのに、なぜか自分たちだけが生き残ってしまった、申し訳ない、というつらさ。

しかしその贖罪意識をダイレクトに表現せずに、いささかの申し訳なさを伴って、「感謝」と言ってしまったところに、後の世代が誤解するタネがまかれたように思う。政治的に「感謝」と言ったほうがよい、ということなら、なおさら問題だ。

「英霊」たちの無駄死にの後押しをしたのは、政府やメディアだけではない。感謝するより前に、言うべき言葉があるだろう。

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自己憐憫や自己正当化のために戦争を利用する言説を目にするのは、私は耐えられない。その無責任と心の欠如に耐えられないのだ。