https://twitter.com/ajian1108/status/1023171429372555265

須藤建@ajian1108
先日ある講談社の社員に会った時に,例のヘイト本についてどう思っているのか聞いた.その社員の答えは「全体の売り上げの中では一部でしかない」「会社の評判が下がったことを考えると出すべきじゃなかった」だった.呆れてしまった.会社の評判とかどうでもいい.社会を毀損してるって自覚してほしい

https://twitter.com/ajian1108/status/1023172469404790784

須藤建@ajian1108
新潮社や講談社が許せないのは,やっていることが信念に基づくものでもなければ,別に「生きていくために」とかですらないからだ.たかだか一部門や一雑誌の売り上げを上げるために,人を踏みつけにしている.そのことが許せない.

https://twitter.com/eigadaikirai/status/1023920577071828993

独り言a.k.a元祖御用一般人@eigadaikirai
、、ま、国Ⅰにせよ有名出版社の社員たちにせよ、日本的「受験競争」「就活競争」社会の勝者であるわけで。その勝者たちこそがああいうテイタラクなんだからもうどうしようもないじゃん。「エリート」たちこそが堕落した国でなんで「下々」が「清く正しく」生きないとあかんの?

だから全体が堕落する。

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私はそういう競争から高3の時に降りた。アホくさいので東大なんぞに行く気もなく、もとより東京は大嫌いで東京に行こうとすら全く考えなかったが、あの時にそういう判断をしてよかったと今にして思う。

もっとも、高校や大学の同級生たちはその種の競争から降りてなかったのかもしれないが、私は全く別の方向にフラフラと進んでいってしまった。

他人と同じような道を歩かなかったので、その分、迷いも多く、孤独だったが、今はそれで良かったのだと納得している。何か自分だけのもの、その自分だけのものに基づく判断というのがあるように思うからだ。

その代償として引き換えたものもいろいろある。たぶん、普通は代償として引き換えるときに失うものを失いたくなくて、失うことが怖くて妥協するんだと思うが、私は妥協しなかった。だから、世間的に見れば随分損をしているのかもしれないが、私はそれでも構わない。

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最終的には、倫理の問題になってくるのだと、薄々感じてはいたが、このところそれを痛感する。

頭がいい人、勉強ができる人は、その優秀さをどのように使うかが問題で、それは倫理や道徳の問題になるはずだ。賢い人の知性というものは包丁のようなもので、美味しい料理を作ることができるが、人を殺すこともできる。美味しい料理を作らないといけない。

では何が善で何が悪か、善悪の基準とは何かとなると、とても論じることはできないけれども、ただ、そういう問題意識は重要だ。

私は他人に道徳や倫理を云々できるような人間ではないし、また自分の倫理観が絶対的に正しいものと考えるのはもちろん間違いだということも知っている。

ただ、それでも、誰にでも分かりやすい利得だけが行動の基準・判断の基準であるということに対しては、天秤のもう片方に、倫理観念の問題を置いておく必要があるはずだろう。