https://twitter.com/eigadaikirai/status/1030141020741292043

独り言a.k.a元祖御用一般人@eigadaikirai
今やアメリカの映画学校・大学でも学生たちは「古典」など実際には大して知らないというが、それでも根底にはこうした人間観察の「伝統」が直接間接に染み付いていて、その上で映画やTVドラマを作っている。この時点で日本人は負けているのである。今の日本人に何がある? 何もない(続)

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独り言a.k.a元祖御用一般人@eigadaikirai
取り留めもない話になるが、そもそも日本人は「他者」「世界」をちゃんと理解した事があるのだろうかと今は思うようになった。日本人は「他者」「世界」を手前勝手な狭い価値観・通俗道徳に押し込める事を「理解」だと思っている。だから何を見ても真に高い精神性に到達することはついぞないのである。

現実認識の難しさを日本人はよく考えてないのではないかと思うことはある。

また、単に事実を羅列しようとすることですら、それを並べた人の観念から逃れることができないはずだ。

ネット右翼の出はじめのころ、よく「メディアは事実だけを伝えればいいんだ、意見はいらない」みたいなことが盛んに言われていたように思うが、それがいかに安易な発想か。

もっとも、それではといって、「真実の○○」「本当は××だった」「マスコミに隠された真実」などの「ネタ」に釣られてしまう光景は、政治的左右を問わず、よく見るところであって、頭を抱える。

また、これは日本人に限った問題ではないかもしれず、そのいい証拠に、イタリアの場合は五つ星運動アメリカのドナルド・トランプの言説を見ていると、同じ現象がどこでも起こっているようにも見える。

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倫理問題が重要なのだという話につながるのだろうが、人間はどういう生き物か、ということを、誰も真面目に考えていないのではないか。日本では特に。

「手前勝手な狭い価値観・通俗道徳に押し込め」て目の前の現実世界を見て「理解」した気になっているのは、それだけ人間に対する理解が浅いからだ。

もちろん、そう言っている自分の人間理解が深いとは思わないが、ただ、日常生活でも、本を読んでいるときでも、どういう時でも、最終的には人間とはどういうものかということを念頭に置いて行動したいと私は願っている。

そういう意識すら日本では希薄であるように見える。

もう少し言うと、人間とは何かを問うていくことから、それはおかしいんじゃないかという抵抗力も出てくるはずだろう。