自分で自分のことをクズだと言う人がいたりすると、どういうことなのだろうと、疑問に思ったりする。

確かに、自分は大した人間ではないと本当に謙虚にそう思うことは大事なはずで、それは自分を客観視するということなのだろう。

ただ「クズ」となると少し違う。自分に対する蔑視が言葉の中に含まれている。

そこで私は変だと思う。自分で自分をさげすんで、だからなんなのだろうか。

A「自分はクズだ」

B「あ、そう。だから?」

この後の会話が、どう考えても続かない。

というのも、自分はクズだ、だからこの程度なんだという開き直りしか意味していないからで、開き直るということは、「だから俺の勝手にさせろ」というふうにしか話が転がらない。最初から会話を拒否しているので、会話が続くわけもない。

つまり、表面上は自分に対するさげすみだけれども、実際はとんでもなく傲慢な言葉ではないか、と私には思われるので、だから変に感じるのだ。

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「自分はクズだ」

と言った時に意味が出てくる場合として考えられるのは、例えば宗教的な文脈が挙げられるかもしれない。

自分はクズだ、そんな自分だけれども、救いが欲しい、救われたい、というような意味合いになるだろうが、これならよく分かる。

むしろ宗教的には真面目な問題だと思う。

しかし普通はそういう意味合いでは言わないし、解釈されにくいのではないか。

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わが身のことを考えてみて、別に自分のことを立派な人間だとは思わないし、むしろクズだと思うが、しかし自分で自分のことをクズとまで言おうとは思わない。

少なくとも、それが何かの言い訳や開き直りのように聞こえる形では言いたくないものだ。