リアリズムを尊び、理念を蔑むようなことを言う日本人を見ると、それはちょっと違うと思うことがある。

特にヨーロッパやアメリカで理念を優先させて考えて行動するような人に対して、「これだから理念が先行すると」「リアリズムで行かなくては」という話になる場合は、ますます違和感が強くなる。

というのも、理念がないリアリズムは、単に現実の泥沼の中にズブズブと溺れるだけで、進歩がないからだ。

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もっとも、理念だけ先走ってしまうタイプは私も基本的には苦手な方で、言わんとすることは分からないでもない。

ただ、理念と現実の往還というのが大事なのだろう。

現実があるべき姿にすぐなるわけではない。ただ、一歩一歩、その方向に向かって前進することが大事で、そのためにどうするか、そこでリアリスティックにものを考えなければならない。その上で行動して、理念と照らし合わせてみて、さらに考えて、現実に反映させ、行動する。常にこの繰り返しだ。

この理念と現実の往還の中で、人によっていろんな行動の現れ方や考え方の違いが出てくる。それは人それぞれの問題だろう。

理念が行き過ぎて、現実から離れすぎると、あるいは滑稽であり、あるいは危険だ。

しかしだからと言って、現実主義を標榜して理念を忘れては、それでは前進がないだろう。

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日本人が言うところの「現実主義」というのは、理念や理想を忘れて、単に現実の上に胡坐をかいているだけのことを意味する場合が少なくない。

目の前の現実に対処するだけなので、それでうまくいったりすることももちろんあるわけだが、ただそれだと自分の行動に一貫性がでてこない、倫理的な問題に対処できない、という問題もあるように思う。

もちろん、理念さえあればなんでもすっぱり割り切れるわけではない。

そうではなくて、理念と現実を照らし合わせて悩むことが大事なのだろう。

そこで「そんな非現実的なことに悩むお前はバカではないか」と理念を持つものを笑う日本人はちょっと違うのではないか、と私は思う。