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理論と、理論を政策に落とし込むことは違う、という話は、リフレ派ネタでよく取り上げたと思うが、こんなところに出てくるとは思わなかった。
緊急事態宣言は1週間遅かった。なぜ専門家会議は「命」より「経済」を優先したのか? | 文春オンライン
この著者について私は言いたいことがあるんだけれども、それはぐっとこらえて一つだけ書くと、
「専門家会議の人たちはそんなことは言われんでも分かってるだろう」
ということに尽きる。理論を現実の政策に落とし込むときの困難に彼らはまともに向き合っているのであって、私はそこに一定の敬意を持っているし、信頼も置いている。
たとえば尾身茂という人は、西太平洋でポリオ撲滅に尽力した方だそうで、それだけでも十分尊敬に値するが、
しかしそれよりも大事なのはこの人は、将来外交官か商社マンになろうと東大を志望していたところ、学園紛争でやむなく慶応法学部に入学するも、進路に迷って哲学や宗教、人生論を読み漁り、たまたま「地域医療」という言葉に魅かれて自治医大に入ったということで(あえて文春記事の著者の方の経歴はここに出さない)、こういう若者が発展途上国のために力を尽くすようになるのもよく理解できるし、なまじ、そこらの外交官よりも、よほど外交官でないと、ポリオの撲滅なんぞできなさそうだ。
ようするに、理論や専門知はそれはそれとして、それを現実に落とし込むことの難しさ、とりわけ政治家を相手にやり取りすることの困難をいやというほど知り抜いている人物であることが十分に察せられる。
「辞表を叩きつけてでも自分の意見を言う」のは簡単だ。しかし専門家会議が取り組んでいる課題はそういうことではない。その難しさを知り抜いている人物が、専門家会議の副座長を務めている。
無論、多様な意見はあってしかるべきだし、そこで議論は必要だ。以前の会見でも尾身副座長は議論は科学として健全だと大いに認めていたことを思い出す。
だから、何も知らない私は彼らを信頼して、彼らの言うことを聞くように努力している。