文部科学省の元事務次官が、高校中退をなくすために数学の必修をやめるという案を出して、議論を起こしていた。

これは面白い案で、私の聞くところでは、海外だと医学部クラスでもろくに数学ができない学生がたくさんいて、試験勉強に苦労している、あるいは人文系の学生で専門は超優秀だが数学はろくに勉強していない場合すらある、ようである。

つまり得意な部分を大いにのばしてやればよいという発想もあるわけで、中学ならともかく、高校の数学を必修にすべきかどうかは一考あってよい。

あるいは現在の大学受験の現実を考えても、最終的に数学を受験しない、ということは普通にあることで、高校で数学を必ず学ぶことにどこまで意味があるかどうかは疑問とせざるをえない。(ネットには邪推する人が多いので念のために書いておくが、私はどっぷり文系人間で今は高校数学なんぞきれいさっぱり忘れてしまったけれども、大学受験までは数学が好きで、国語の方が苦手だった)

ただし、必修でなくした場合の問題として、必修で数学を勉強したからこそ、最初は苦手だったが結局好きになった、できるようになった、という生徒も少なくないはずで、そういった子供たちは貴重な勉強の機会を失うことになってしまう。また、大学受験でも、それなり以上の大学になると一応は5教科満遍なくできるべきものという前提があるように思われる。

したがって、ただ中退者対策として数学の必修をやめるというだけでは不足であって、そこはやはり制度全体を見渡しながら考えなければならない問題なのだろう。


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私の近所には、引きこもり、不登校の子供が少なくない。いろいろな事情が考えられるわけだけれども、勉強についていけないことも不登校に至る心理的な要因の一つになっているようだ。

昔はこんなに不登校が多かったのだろうかとかねてから疑問で、私の友人たちに聞いてみるが、やはり印象としては不登校は増えている。

私は小学校の同級生たちと今でも交流がある。私は私立中学に行って離れてしまったが、公立中学校に進学した友人たちには、勉強はからっきしダメな奴らが多かった。今となっては笑い話だが、国語の試験で10点未満を取るのが当たり前だったりしたそうだ。

彼らは今は、立派な大人として生活しているが、中学校高校のころ、勉強が出来ないから不登校になったかというと、そうではなかった。勉強はできないんだからそれはそれとして、毎日楽しく学校に行って遊んでいたらしい。

勉強ができないからと言って、だからなんなのだろうか。もちろん、多少はできるに越したことはないが、できない子供の場合、勉強という尺度だけでその子供を見るのはあまりにも酷だ。大人と同様、子供も多面的であって、いいところも悪いところもある。それが人間であって、そういう人間で構成されているのが人間社会のはずだ。

高校数学の必修の是非を問うという議論は興味深いが、ここは私の身近なところに引き付けて考えたい。学校は勉強するところではあっても、勉強という尺度で人間を測るところではない。学校という場所で、勉強が子供のプレッシャーになりすぎているのであれば、いろいろ考えなければならないことがあるのではないかと思う。そしてそれは、数学に限るべき問題ではおそらくない。