「忖度」自体が悪いというよりも、それで何か問題があった場合に責任の所在がはっきりしない、ということが問題なのだろう。

「忖度」されたほうが責任をとるのが一番よいが、たいていの場合はそうではなくて、「忖度」した側が悪いことにされて、「忖度」された側は開き直って自分は悪くないと言う。

その点、ムッソリーニは一味違って、マッテオッティ事件では結局、全責任は自分にあると明言しながら、過激派による暴力をちらつかせることで批判を委縮させて、居直りを可能にさせた。これが、ファシズム政権20年の道を開いた。