近所の子供たちを見ていると、つくづく、部活はガンだと思う。

 

もちろん、勉強が得意な子ばかりではないわけで、運動が得意な子もいれば、音楽や美術が好きな子がいるだろうから、そういう美点を伸ばそう、多面的に子供を扱おうという意図はよく分かる。

 

ただ、物には限度があるではないかと言いたくなることが非常に多い。

 

夏場に熱中症で死ぬ直前まで練習・運動をやらせるのはどこでもやっている常識だろうが、そうでなくても練習に力を入れすぎていて、肝心の勉強が何もできないという子供がどうやら少なくない。

 

そういう子供は体力がないんだから、練習について行けないのであれば、部活をやめて勉強一本に絞れば、と思うんだが、それをすると先生や先輩から怒られるのでやめられない。

 

あるいは、勉強が大事なのは分かっていて成績を上げたいんだが、部活も好きでやっているんだからやめられない。だったら部活はほどほどにすればいいんだけれどもそうはいかない。

 

・・・まるで大人社会の縮図でほとほと呆れる。何が本当に大事なことなのかが、学校の中でよく認識されていないとしか思えない。

 

先日、びっくりして顎が外れそうになったのは、ある私立進学校の野球部では「21世紀枠で甲子園に行く」ことが目標になっているそうで、その目標のために部員たちは一丸となって頑張っている、らしい。もっとも、やりたい子供はそうすればいいと思うが、私立の進学校だからついて行けない子供も当然いる。そういう子供たちはどうなるか。とにかくついてこいと怖い顔をされるようだ。

 

そこらのしょうもない公立高校の野球部ならともかく、進学校にわざわざ入れた自分の子供に、そこまでして甲子園に行って欲しいと希望する親がどれだけいるのだろうか。

 

同様の話は部活のみならず、運動会や音楽会などの学校行事でもあり、緩い私立学校に通っていた私などにはとてもついて行けない世界だと日ごろ呆れている。

 

こういう話を聞いていると、完全に、大人の世界の都合、学校の都合だけのために、子供がせいぜい利用され、洗脳まがいの教育を受けていることを痛感させられる。

 

勉強がすべてではないし、勉強ができたからといってそれで人生がうまくいく、幸せになるものでもないと思うが、小学校レベルの漢字・熟語、算数ができない中高生など五万とおり、無理やり勉強させても無意味だとはいえ、社会生活を送るうえで最低限のレベルはどうしてもカバーする必要がある。

 

このままでいいとは私には到底思われない。子供を大人の都合のために利用するのはもうやめるべきだろう。