ところが、ネットを見ていてしばしば感じるのは、非常に固定的な考えで幸せを考えている人が少なくないということだ。

 

リアルでも一番よくある典型的なのは「結婚したら子供がいないと不幸」というパターンだと思うが、ネットを見ているとそれ以外にもたくさんありそうで、学歴の話もその一つになってしまっている。

 

あるいは何かというと「実家が太い」にすべて帰結させる議論なども、偏りの典型として挙げられそうである。私なぞ、「何も知らんからそんなことを妬みまじりで軽々しく言えるんだ」くらい、言いたくもなる。

 

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そういう固定的な考えで、「あの人は幸せに決まっている」「幸せになれるからこうしろ」と他人にとやかく言うのも問題だが、

 

もっと問題だと私が思うのは「こうなっていない自分は不幸だ」と固定的な考えで自分自身を縛ってしまっている人で、これは本当に不幸だ。

 

幸せは人それぞれのはずであって、それは仮に世間の基準からずれているとしても、その人が幸せを感じるのであればそれでいいのだが、自分自身を固定的な考えで縛ってしまうと、その幸せを感じられなくなってしまう。

 

仕方がないから、世間に通用しているような幸せイメージを追求して、無理をする。当然、そこには幸せなんてないのである。そういう人はたいてい、体を壊すか、心を壊す。

 

すぐ目の前に、幸せがあるかもしれない。あるいは、自分が幸せだと思って追及しているものは、幸せでもなんでもないかもしれない。

 

そのことを、私はよく考える。ちょうど季節で、高校受験・大学受験の子供たちをよく見かけるので、そういうことを書きたくなった。