私がこのブログを始めた動機は、何度も書くが、ネット上の徒党に対する違和感だった。自分自身が扇動めいたことをしたことがあり、その反省もあって、誰よりも自分自身にナイフを突きつけるようなつもりで書いていた。

  

今でもこの姿勢は同じで、ネット上の徒党は断固拒否するし、とりわけTwitterで発生しがちな妙な上下関係、それはテレビやネットの有名人・大学の先生とその他大勢の間にあるなれ合い、あるいはもっと単純な「仲間」感覚といった、そういう関係そのものに疑問を持っているので、こういったこと一切を私は拒否している。

 

基本的なスタンスは変わっていないと思うが、それでも10年も書いているといろいろ揺れているところはある。

 

たとえば、ネット上の徒党の問題もさることながら、ネット右翼の言説が、以前とは全く違う広がりをもって浸透しているのは間違いない。

 

私は政治的には中道右派だと自分では思っているが、そういう立場から見てネット右翼は問題だというのはかつても今でも変わらない。

 

ただ、10年前のネット右翼には、もう終わったと書いてしまう程度の影響力しかないように私には思えたし、実際、人数としては非常に少数だという調査もある。

 

したがって、中身の問題もさることながら、ネット右翼の徒党の問題に関心があった。それはニセ科学批判でも同様で、なぜああいう徒党を形成するかというところから中身の問題につながってはいくけれども、その逆ではなかった。

 

ところが、今は10年前と状況が一変してしまって、首相を筆頭に主要メディア、出版社などなどの言い出すことがネット右翼同然になってしまっている。これはネット右翼が広まったのではなくて、ネット右翼の依拠していた言説が、公然とマスメディアで語られ出したことの影響が大きい。

 

ネット右翼の問題は、自由な議論を阻害する彼らの徒党が問題なので、いろんな意見自体はあっていいという緩い感覚を私は持っていたように思うが、10年たって現実を見たときに、そういう緩い感覚でいていいのかと疑問に感じている。

 

これは自分自身の変化の結果でもあって、日本人だろうが何人だろうが、譲ってはいけない共通の一線があるはずだという考えが、自分の中で以前よりも強くなった。

 

私自身、決してリベラル派ではない。教条的な左派に至っては大嫌いだが、しかし嫌いだからと言ってこれをただ冷笑するだけで済ましていい状況なのかどうか。

 

マルクス主義者だった網野善彦は敵よりも味方に厳しいと「批判」されることもあったそうだ。ところが世間を見ると、味方に甘い人間ばかりで参ってしまう。

 

味方に厳しくして何が悪いのか、私にはさっぱり理解できない。

 

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ではどうするかというと、これは相当に難しい問題で、どうにもしようがなさそうだと今のところ思っている。 

 

少なくとも私については、孤塁を守ろうという気ではいる。そのうえで、少しでも周囲に影響を与えることができれば御の字であって、大げさに言えばそれが私の社会的責任でもあるのではないかとすら思う。

 

それは、たかだかネットごときで 実行するのは不可能で無理がある。ここに書くのはせいぜい、リアルで起こったことの余滴、あるいはリアルからの反響程度のものでしかない。

 

別に多くの人に読んでもらいたいとは思わないが、私のいわんとすることを分かってくれる人がいれば、私にとってはそれで十分だ。本当のところは結局、ネットではなにもできない。