ネット○○派 part359

いや、ニセ科学批判を引き合いに出してるのは、もう本当に例示としてしか意味がなくなってきているな。


ネット○○派の問題は、ようするに、ある言説に対してそれが正しいと信じている集団が徒党となった揚句にネット上で他人に意見を強要する、あるいは他人の意見を集団で嘲笑するのが変だという現象で、正直に言えば自分もそういう徒党にちょっとからんでいた過去があるので、その反省もあって、しつこくしつこくこのブログに書いている。


ネット右翼や○○反対運動の場合、そもそも変なことを信じていたり言ったりしているので、彼らが騒いでるとすぐ変なのが分かるし、問題も指摘されるので、冷やかにヲチられてそれでよろしいわけだ。


問題は、信じられていることがそうおかしなことではない場合であって、それはリフレ派とかニセ科学批判があげられると。リフレはリフレの中身によっておかしなことを言っている部分ともっともなことを言っている部分と多分分けられるんでしょう。ニセ科学批判もそうなんだけど、「ホメオパシーに科学的根拠がない」の類の言明それ自体は正しい。、


これらの場合は、むしろ言っていることはそれなりに正しいからこそ、正しい部分があるからこそ、正しいと信じられるんでしょうが、で、やってることがネット右翼とか○○反対運動と同じになる。


で、やってることがネット右翼とか○○反対運動と同じなのに、「正しい」からこそ自分たちはネット右翼と違うと信じられると。


なんだ、これは、ということなんでね。

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これをまとめるのは、一つは、ネットの住民は本当に「正しい」サイドにつくのが好きだということだろうと。で、この場合の「正しい」というのは、本人の主観として「正しい」ことであればなんでもよいのであって、科学的裏付けがあるとか合理性が高い低いというのは、あまり関係がない。


そして、「俺の信じている『正しい』ことを実現しろ」という話にしたがるのが本当に好きだ。「正しい」ことは実現されるのは当たり前と言ったら当たり前だから。


で、「実現しろ」と言ったときに、実現可能性なんて誰も考えないものだから、実現不可能なことをどんどん言い募る形になるものだと。だから、言うことがエスカレートしたり、自己正当化を重ねていく形になる。


で、その正当化の理屈が本当にまともかどうかは、ネット○○派内部では検討されない。正しいことが自明であったり、とにかく最後は自分たちが正しいに決まっているわけで。本人たちにとって「正しい」ことがもっとも重要なんだから。

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つまり、自分たちの「正しさ」がそこまで昂進しているからおかしくなるのであって、ネットは単に個人とパソコンの画面との対面にすぎないからこそ、自分の「正しさ」があまり高ぶらないようにするほうがよいと。


「つながり」とか「絆」というのは、そういう自分の世界における「正しさ」を昂進させる機能しかもたないんでしょう、結局。


その結果として、ネット○○派という形で、「自分たちは正しい」意識が表出するとこうなる、ということなんだと思う。たかがネット、ネット○○派の話なんて、どうでもいいんだけれども、繰り返して書くと、ま、しつこく書いておきたいところでもあるんだ。