前回のようなことを書くと、

 

「おい、そんな過大な期待を勝手にされても困る。だいたい、『その他大勢』たちはどうなんだ、そんなにかわいそうな連中か?!」

 

という声が聞こえてきそうだ。

 

醜悪度合で言うと、「その他大勢」の方がよほどひどいと感じることが多い。

 

自己中心的で得手勝手、自己肯定だけはむやみに強く、反省能力は皆無。欲が深くて底知れない。

 

こういう人たちが、「私たち庶民が」「市民が」「勤労者が」「公務員が」云々とのたまっているわけで、だから口の悪い私は「庶民様」「市民様」「勤労者様」「公務員様」云々と揶揄したくもなる。

 

現実世界では、私はこういう御仁たちを敬して遠ざけ、できる限り接触を持たないようにしている。私の善意や好意に付け込んで利用されるだけで終わるから。不愉快な経験を何回もさせられた。

 

ほれ見ろ、というところだが、しかし私はそれでも、あるいはだからこそ、能力のある者の責任・倫理があるべきだと言いたい。

 

・・・

 

私の場合、敬遠したい人たちとは断固、縁を切っていった。切って切って切りまくった。今後も同じようにするだろう。

 

それで全く孤独で、友人の一人もできないかというと、そうはならなかった。共に談ずることのできる人はいる。

 

私だって弱い人間だから、間違いもあれば悪いこともする。よし、仮に私の不徳ゆえに全くの孤立無援になろうとも、怖くない。そういう時期が私には長く、恐れるものはないからだ。

 

私が敬遠したい人たちの方が圧倒的に多数であるのに、私は全くの孤独状態にはなっていない。そうはならなかった。

 

そこから、小さくてよいから、自分なりの何事かを始めてみた。今のところは、それでよかったようである。

 

・・・

 

器の大きい人は清濁併せ吞むということができるのだろう。私は、そういう器量を持ち合わせていない。

 

ボンヤリ生きていたら結果的にこういうふうにしかならなかったが、それで私は今は後悔していない。

 

なぜ私が柄にもなくこういうことを書いているか。それは日本にいて日ごろ感じることが、このあたりにありそうだと思うからだ。それは、このブログで最近書いていること、言いたいことと、通じるものが何かある。