無責任なネット民 大阪の住民投票の件で(追記 大阪の気風の話)
先日の大阪の住民投票についてのmachinery さんのブログ記事を見てちょっと驚いたんだけれども。
machineryの日々 リスクヘッジの失敗
この住民投票は結局「都構想」なる言葉のイメージ投票でしかなかったというのが実態ではないかと思います。
というと、その「都構想」なる言葉にプラスのイメージを持つ方からすれば
もちろん都構想をやったからといって、劇的な効果が期待できたという保障はありません。でも、既得権やしがらみをとっぱらえば、おもしろいことが起きる可能性もあったはずです。
橋下さんがイラついてたのもわかります。こっちがなにかアイデアを出しても、否定ばかりして対案を考えない人が多いんですよ。じゃあどうすんの、もっといい案あるのと聞くと黙ってしまう。
どっちに転ぶかわからないときは、「やってみなはれ」というのが大阪の気風だと聞いてましたけど、あれはやはり松下やサントリーだけのおとぎ話、特殊な例にすぎなかったってことでしょうか。
結局、大阪の人たちは既得権と心中する道を選んだのだなあ……などというと、外野がやかましい、と怒鳴られるかもしれません。わかりました、黙りましょう。今後は、自分たちでも改革はできると豪語した反対派のみなさんのお手並みを、外野からとくと拝見いたします。となるのも自然な流れでしょう。まっつぁんご自身はいつもデータをしっかり見ながら判断すべきというようなご主張をされているはずなのですが、そのまっつぁんですら維新の会がしかけたイメージ投票にコロッと引っかかってしまうわけです。
と書かれていて、紹介されている記事にさすがに唖然とした。
2009年1月に、私はこういう記事を書いた。このときは、脊髄反射で反対しているとしか思えない左側を、必ずしも橋下支持ではない立場の人間から、「それはどうなの」「もうちょっと様子を見たらどうなの」という記事を書いた。
その後の展開はごらんのとおりで、もう橋下=維新を全く支持しなくなった。というのも、彼らのやろうとしてることには、結局何の中身もないことがよく分かったからで、machinery さんの言い方をすれば、彼らは単に「イメージ」で扇動しようとするものでしかなかったからだ。
だから、マッツァリーノさんがいうように、ホイホイと「やってみなはれ」と気楽に言えるようなものでは全くないということもよく分かったし、自分は大阪人ではないが、上方の人間の一人として、大阪を呆れて見ていたものだった。
ところが、今度の住民投票の結果を受けて、マッツァリーノさんのような言い方をする、とくに関東方面の人たちが、Twitterで少なくないことに、正直言って唖然とした。
中には、「橋下=維新が突破口になればと思ってみていた人も少なくなかったはず」云々といった意見も見た。言いたいことやその気分はよく分かるが、よその自治体を勝手に自分らのための実験台として利用するな馬鹿、と言わざるを得ないと思ったし、それ以外にも「あんた、それはどうなの」という無責任な発言が多々あったわけだが、もういちいち例示しない。
結局、関東方面にたいしては、「なんだかんだ言って、あんたたち、やっぱり橋下=維新が大好きなんじゃないか」と思ったし、「だから、ウヨサヨ議論の次元に引き落として、橋下=維新を批判するものを冷笑してたんだろ」とも思った。
もちろん、大阪人ではない私でも、以前の記事に書いたように大阪にはいろいろ問題があることは容易に察せられる。その問題の解決は困難だろうし、もっと真剣にやらんかい、とすら思う。
しかしそのことは、橋下=維新を支持する理由には全くならない。「あれくらい突破力がないと前にすすまないよ」などと無責任なことを言う気にはなおさらならない。
なのに、そういう無責任なことを言う人たちが、ネットにはいかに多いことか。それをまざまざと感じたことでした。
(追記)
大阪の気風の話が少しあげられているけれども、あくまで単に私の印象だけだと前置きしたうえで次のことを書いておきたい。
まっつぁんが松下やサントリーに少し触れているが、私は、企画の了解を得に松下幸之助にあった人に話を聞いたことがある。松下幸之助は一言「人さんのお役に立つんやろな」と聞いただけで了解したそうだ。ただし、大松下の御前であるうえ、しかもあの顔と目で聞いてくるのでとても怖かったらしい。
そりゃそうだろうと思う。
大阪の人間は実質を尊ぶのが元来の気風で、松下幸之助も担当者の真剣さ本気さを問うに「人の役に立つ」という聞き方をしている(幸之助はもともと和歌山出身)。これが面白いことだとかねがね思っていた。イメージで何とかしようとするのはもっとも忌み嫌うところだったはずで、そんなにホイホイ「やってみなはれ」と言っていたわけでは恐らくなかった(サントリーの「やってみなはれ」も、それなりの計算の裏付けがあったんだろうと思う)。
では、橋下=維新はなんだったのかというと、私は単純に、大阪はもともとの気風を失ってしまったんだろうと思っている。
簡単に言えば、
「大阪の人間が、東京の人間みたいになってもた」
のだろうと。