人のために尽くすこと、それ自体は悪いことではない、むしろいいことなのだろうが、それも程度問題だ。周囲の大人を見渡していると、しばしばそう思う。

 

その典型が、親のために何かと頑張って尽くしてしまう子供がそのまま大人になっているようなタイプの人で、どうやらそういう人が少なくない。

 

かくいう自分もそういうところがあったし、友人知人にもかなりいるようだ。

 

自分の場合には、どう生きればいいのかがそもそも分からなくなっていた。自分のしたいことや自分の気持ちはあるが、そうは言っても別の問題が云々と自分を押しつぶしてしまう。

 

そうなると、ある限度を通り過ぎると、自分の人生を生きられなくなる。

 

それだけではなくて、親が、そういう子供を利用して、様々な利益をしゃぶりつくそうとする。

 

子供は、自分がそういう目にあっているとも知らずに、親のためだと考えたことをいろいろやってしまう。それも親だから当然だ、あるいは仕方がないと自分に言って聞かせながら。

 

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ある時、私ははっと気が付いた。えらいことになっていた。実の親に完全に裏切られていたことが分かった私は、長い年月を無駄に過ごしてしまったことをひどく後悔した。怒りもしたし、がっかりもした。私の怒り方を見たある人は、命にかかわるからもう親と接触を持つなと強くアドバイスしてきたほどだ。

 

そこで私はどうしたか。親を捨てた。これで楽になった。

 

先日も、知人が親の介護が云々と言い出す場面に出くわしたので、

 

「そんなもん、ほっときゃいいんだよ。親なんて捨てておけ。他人の前に、まず自分の人生を生きろ」

 

と言ってやった。

 

こういうことを言うとたいてい、自分だって年寄になったら下の世代に世話になるくせに、と言われるわけだけれども、そんなものは承知の上で言っている。そこで負けてはいけない。

 

ことは生きるか死ぬかの生存の問題で、たとえ親だろうがなんだろうが、関係がない。

 

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同じようなことは、親子関係に限らず、一般的に他者に尽くすということをし始めると、起こりうる。

 

ただ、親子関係の場合、関係の密着度や年月の長さから、問題がより複雑かつ深刻になりやすいように思うが、それもケースバイケースだろう。

 

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遠藤周作が「悪魔」ならぬ「善魔」が問題だとどこかで書いていた。他人に尽くすことは悪いことではないが、かといってそれがゆえに自分を殺してはいけない。それは「善魔」に魅入られてしまっている。

 

他人の前に、まず自分の人生を生きなければ。自分の人生をもっと大切にしないといけない。

 

私はそう思う。