パウロのローマ人への手紙に「あなたは、人を裁きながら、実は自分を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです」(2:1)とある。割とよく知られているフレーズではないかと思うが、なるほどその通りで、「お前はこれをしてはいけない」「お前のこれがいけない」と言いながら、それはそっくりそのまま自分にはね返って来なければならない。

そのような自覚の薄い人が、あるいは多いように思える。

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しかし他方で、パウロは同じローマ人への手紙の中で、次のようにも書いている。

「悪を憎み、善から離れず」(12:9)

愛についての教説の前後にあるが、パウロは悪を憎めと言っている。ただ愛するだけ、善から離れないだけではいけない。

では、「悪」とはなんなのだろうか。誰がどのようにしてその「悪」を決め、その「悪」を憎むことになるのだろうか。

これは、「人を裁きながら、実は自分を罪に定めている」というくだりとどう関係するのだろうか。

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パウロの手紙の注釈なぞとても無理だが、この下りを読んで思うのは、どちらも大事で、最終的にはバランスではないかということだ。

人を裁くことは自分も裁いていると自覚するということ、悪を憎めということ、どちらか片方だけだと、倫理的にグズグズになるか、過度に攻撃的になるか、どっちかになってしまう。

「悪」とは何か、どういう「悪」を憎み、「善」から離れないようにするべきなのか。現実問題の中で一人ひとりが考えていかないといけないのだろう。