新聞の見出しに、外国人材、なる全く慣れない単語が普通に出ているのを見て、呆れている。

 

どうして移民と書けないのだろうか。

 

しかも、外国という言葉を入れて、日本人・日本社会と区別する気だけは満々なのが伝わって来る。

 

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近所の高校がどんどんきれいになっている。先日も正門側の塀の工事が終わった。

 

ところが、生徒たちに言わせればこんな工事は無駄で、そんな金があるならクーラーをつけろ、という。

 

そりゃそうだ。

 

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今の日本に限った話ではないのかもしれないが、こんな話ばっかりだ。

 

表面だけきれいにして、誰も実質を問わない。表面さえつくろっておけば、それでいいと考えられすぎている。