https://mobile.twitter.com/moriteppei/status/998406941410967553

森哲平
1年生の娘が学校に行きたくないと泣く。運動会の練習が嫌なのだという。何が嫌か理由をノートに書かせてみたら「運動会の練習で先生が怒る」「左でも右でもいいのに全員右に揃える」「一人が間違うと連帯責任」「間に合わないと、間違えると休み時間も練習させられる」。そら嫌だわ。日本の縮図。

https://mobile.twitter.com/moriteppei/status/998406942950211584

森哲平
足りなければもっと練習させればいい、休みを削ればいい、別に意味もないところで全員動きをそろえさせる、違ったら「連帯責任」ってさ。これが日本の文化DNAだわな。

https://mobile.twitter.com/moriteppei/status/998418979172450305

森哲平
先生が悪いって言ってるんじゃないよ。誤解なきよう。学校とは「だいたいそんなもの」だと言ってる。

本当に「学校とは『だいたいそんなもの』」なのだろうか。

少なくとも私が小学校の時は、1年生の子供が運動会の練習で、部活の練習と同等のことをやらされていたとは記憶していない。

それに、上にあげられているのは、日本の「文化DNA」ではない。その言明には何の根拠もない。

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上のtweetでは、先生が悪いと言っているのではないと念を押しているが、私の友人に、親が公立学校の先生だったのがいる。そいつは常々「先生はアホだ」「根拠なくえらそうで人間的に不愉快」などと言って、頭からバカにしてはばからない。

最初、私も、まあ身内の気安さがあるから、と思っていたが、実態を知るにつれて、彼の言うことがもっともであることがよく分かった。

上のtweetの場合、先生が悪い、と断定してよい。たかが運動会の練習で、1年生の小さな女の子を学校嫌いにさせるような教師は、本当に脳足りんのバカだ。

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前々から、ある種の現実を、根拠がないにも変わらず、日本文化とか日本的なものだから仕方がないとして是認するのはよくないと私は思っている。

それは根拠のない、勝手な思い込みで、自分を限定しているだけであって、本当はもっと違う現実が有り得る。

上の例であれば、小学校1年生を運動会の練習ごときで学校嫌いにさせるような教師はおかしいのであって、そこで「学校はそういうもの」として諦めまじりで是認してしまうことに、問題がある。

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別にラディカルに、今すぐに、目の前の現実を変えるべきだ、とは私は思わない。

もちろん、すぐに現実が変わってくれればそれに越したことはないが、そういうことはまずない。

そうではなくて、おかしいことはおかしいのだから、おかしいとまず言ってみればどうか。そのうえで、おかしいところを少しずつ良い方向に変えようとする努力が必要だろう。

目の前の現実を、「そういうもの」として、あまりにも素直に受け入れてしまうこと。それは私はとりたくない考え方だ。