サッカーは単に面白がってるだけで戦術も何も知らない文化系の人間からどうしても書いておきたい。

西野監督 腹くくった長谷部との“トップ会談”、チーム一つにしたハリル氏と真逆の手法

長谷部の指摘を受け、西野監督はW杯前最後の親善試合となる6月12日のパラグアイ戦前のミーティングで選手の意見を集約した上で、具体的な戦術を指示。4―2と結果が出たことで、選手が忌憚(きたん)ない意見を出し、最後は監督が決断するミーティングスタイルが確立した。吉田は「ハリルさんの時と比べると対話があるのが西野監督のポイント」と証言。一方的に戦術を押しつけたハリルホジッチ前監督と真逆の手法がはまり、チームは一つになった。

ハリルホジッチが「一方的」だったがそれに引き換え、という話をマスコミが流しているが、私はこの話に全く納得できない。

クーデタを起こした側が、

0―2で敗れた6月8日の親善試合スイス戦を受け、ホテルの一室で長谷部主将が西野監督と向き合っていた。「最後のところは監督がしっかり方向性を決めてください。そうじゃないとまとまりません」。この言葉が分岐点となった。

と、言い出すあたりであまりにも無責任で、読みようによっては西野さんがクーデタの首謀者なのかとも解釈できてしまうが(実際は違って別のコーチの名前が頻繁に上がっていることはこの際は置いておく)、そもそも選手たちよりもハリルホジッチのほうが経験識見ともはるかに優れているはずで、そういう人物をギリギリのところで反乱を起こして放り投げた無責任と失礼千万な所業についての反省はどうなのかと、いくらでも問い詰めたい。

しかもこの「一方的」という書きぶりに、差別の臭いがプンプンするところが、きわめて腹立たしい。

というのも、学校の運動部などのコーチほど、根拠のあるかどうか分からない自分の指導法を10代の子供に「一方的」に押し付けて平気でいる連中が他にあるかと。それは放置しておいて、何を言っているのか。

ハリルホジッチが「一方的」ならば、日本人がやっている指導は「一方的」では本当にないか。これも百万回問い詰めても、まだやりきれない。

こんなひどい話が公然と行われるどころか、むしろ正しく批判される気配がほとんど見られないあたり、あまりにもあまりだ。

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私の師匠に当たる人は、きわめて「一方的に」自分の指導を押し付ける人で、時に手も出る人だった。私は何度も放り投げようとしたけれども、それでもついて行った過去がある。今でも私にとって捨てられない恩師だ。

そういう小さな経験から想像して、サッカー選手たちのあまりにも無責任で自分勝手な所業は許容できない、ほとんど偶然に依存した結果で無反省にやり過ごすことなど醜悪すぎて耐えられない。

私がここにこの話を書くのは、ただ、サッカーの世界にとどまる問題ではないと考えるからだ。