私は、偏差値に基づく学校の序列が人間の価値を決めるとは思っていない。それはせいぜい「お勉強」の出来具合を測ることができるかもしれないが、人間はそれだけのものではない。

ただ、私が日ごろ面白いと思っているのは、偏差値や学校にこだわらないと言いながら、非常にこだわる人が多いことだ。

ごく身近な単純なところから言うと、子供や孫の学校自慢は典型的だと思うが、本当に偏差値や卒業校にこだわりがないなら、そもそも自慢のタネになるはずがない。しかし現実には学校自慢をしたがる人は非常に多い。

・・・

「お勉強」がすべてだとは全く思わないが、勉強ができる人とできない人では、見えている世界が全然違うということは、私は日ごろ痛感している。分かりやすく書けば、東大京大を卒業した人と偏差値50近辺の高校を卒業した人、また偏差値40レベルあるいはその下の高校を卒業した人、それぞれに対して、こちらは話し方を変えないといけない。そうでないと、意思疎通ができない。

人間は多面的だから、勉強だけがすべてではないが、知性の面での違いはそれぞれある。頭のいい人、悪い人、厳然として存在する。それを測る一つの方法に学校の勉強や試験があることは、これはどうしても否定できない。もちろん、それが人間の知性を確実に計測できると言えないのは当然の前提だ。

・・・

そういう次第だから、普段東大の先生や学生レベルに接している人が、ごく世間並、偏差値50前後の世界に接すると、この差に面食らうということがある。どうしても、ものすごく頭の悪い世界に見えてしまいかねないわけだが、その場合に上から目線で怒鳴りつけるようなことになりかねない。なんでこんなことが分からないんだ、お前たちはバカだ!と言いたくなっても普通は表立ってそういうことは言わないが、時にその種のことを言ってしまう。

そうすると、偏差値50前後、あるいは偏差値55レベルの高校を卒業したような人、つまり一番ボリュームが厚い層の人たちは猛烈に怒るのである。東大だからって偉そうに!

・・・

ところが、えらそうなのは「東大」だから偉そうにしているわけではなく、厳然として知性レベルに違いがあるからそういうことになるのであって、偉そうにしている本人としては別に偉そうにしているつもりはなかったりする。

もちろん、そういうことを言ってしまう性格はどうなんだという議論は可能だし、それこそ学歴や地位などを誇りたがる卑しい人間も少なくない。しかし、「別に偉そうにしているつもりはないが、うっかりそういうことを言ってしまってそういうふうに受け取られてしまう」という場合がありうる。

・・・

私が日ごろ面白いと思っているのは、偏差値50近辺から55の高校卒業レベルの人たちの、学歴や偏差値など「お勉強」の成績に対するこだわりっぷりだ。自分たちがいかに知性的で、頑張って勉強して、立派な人生を歩んでいるか、今風に言えば「自己肯定感が極めて強い」人が多い。非常に多い。

しかも、たいていの場合、「お勉強」の面で「世間並」「平均レベル」に到達しているとそれで満足する場合がほとんどであって、それよりも少し上になるとそれだけでますます自信を持ってしまったりする。自分は世間レベルより上と信じることができる。

ところが、世間並より少し上はちょっと頑張れば可能でも、「東大京大レベル」になるとちょっと頑張ったくらいではたいていは無理なので、そこが限界になる。それだけならともかく、これがコンプレックスのタネになりうる。せっかく世間並より上に来たと思っても、自分よりずっと上がいるので、なんだか自分が否定されているような気がしてくる。

自分の知性に対する過度の自信と、その裏返しで偏差値がはるかに高い学校を卒業した人間に対する根深いコンプレックス、この二つが共存することになる。

こういう人たちに対して、「所詮、そのレベルでしょ(私は東大だけど)」などということをうっかり言ってしまうと、さあ大変だ。

・・・

面白いのはこういう場合に、「東大だからって偉そうに!」と反発してしまう、その時点でもうずれていることだ。相手は別に東大だから偉そうにしているわけではなくて、現実として知性レベルに差があるので、ついうっかり偉そうになってしまうにすぎない。他方で、「偉そうに!なんて奴だ!」という人たちのほうは、何をするにしても普段から学歴・偏差値にこだわりまくっているので、「東大だから」偉そうにされたに決まっていると解釈してしまう。

もっとも、同じ口で「勉強がすべてではない」「偏差値がすべてではない」「学歴なんて意味はない」と言ったりするのだが、それというのも、そういうことを言っていないと自分を肯定できないからだ。「自分より上」の存在を認めると、自分が否定されたような気になってしまうので、だからそういうことを言いたくなってしまう。

私が、「ああ、学歴・偏差値信仰の根深さは極まっている」と感じる瞬間だ。

・・・

「お勉強」ができる人間に、性格的に歪んだのが多いのは、印象としては私もそう思うところだ。好きで勉強するわけではなく、なんだかんだと強引な理由をつけて、無理やり勉強をするから、性格が歪んでしまう。だから、身近にいる子供たちには、勉強も大事だけれど、それよりも正直に素直に育ってほしいと私は思って、普段からそうふるまうようにしている。

しかし他方で、「お勉強」がそこそこできる程度の平均レベルの人たちの歪みっぷりも相当なものだと思うのである。