左翼が若い世代に受け入れられない理由は、左翼が反日的で、どうして自分の国を愛してはいけないのかという疑問にうまく答えることができないからだ、という意見を見た。

 

果てしてそうだろうか。

 

左翼も相当にナショナリスティックであるのは、ありとあらゆる言説から感じるところであり、単純な話、今の日本共産党天皇制を全否定はしていないはずだし、有名どころではいわゆるリベラル派の内田樹天皇制には肯定的だ。

 

あるいは「反原発」というのが左側の旗印の一つになっているが、これも根は日本の国土について考えるところから出てきているわけであって、決して「反日的」であるとは言い難い。

 

現在、右翼の対米観は日米同盟の維持で一致していると思うが、しかし米国と距離を置いて自主独立路線を主張するほうがよほど「親日的」だという立場もありうる。もし、米国に対して距離を置こうと左翼が主張する場合、本当にそれが「反日的」かどうか、議論の余地は大いにあり得る。

 

・・・という次第で、「反日」というレッテルは、単に右翼の気に入らない言説にペタペタと張り付けられる、便利な道具以上のものにはなっていない。

 

実際は、左翼サイドも私から見たらかなりナショナリスティックであり、その意味では右翼、とくに安倍さんを支持するような保守派・ネトウヨの類と同じようにしか見えない。

 

・・・

 

その意味で、もう右翼・左翼の対立は意味が全くなくなっていると思っている。冷戦はとうの昔に終わってしまっており、社会民主主義自由主義をどう対立させて、民主主義の枠内で機能させるかという問題は、どの国も苦労しているように見える。

 

にもかかわらず、いまだに冷戦が続いているかのような言説にあふれかえっている日本語世界はどうなのか。ヨーロッパとは異なる東アジアの状況を考えても、それはどうなのかと、率直にそう感じる場面が多い。

 

そうは言っても、右でもない、左でもない、第3の道、なぞというのは、使い古されたボロ布のようなもので、これも意味がない。

 

私としては、ごくごく身の回りの問題から始めたい、そうするべきだと思っている。私自身の問題、私にとって近しい人たちの抱える問題、ご近所の問題等々、目に見える、具体的な問題を一つ一つ考えること、できればそれが解決するように努力することから始めたい。

 

それは、イデオロギーや主語の大きな主義主張という巨大な網でがっぽり魚を掬いあげるようなものではなく、一本釣りでじっくりと魚を釣り上げようとするもので、とても勝負にならない。そもそも一本釣りでは釣果があがるかどうかさえ不明だ。

 

しかし、左翼も右翼もただうるさいだけになっている現在、そういうやり方が大事であるように、私には思える。