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今の日本人は、
「人はパンのみにて生きるにあらず」
という言葉を忘れていると思う。
別にカネが大事ではないとは思わない。生きるためには必要なのは当然だ。生きている限り、どうしても付きまとう問題はカネだ。
ただ、なにかと経済が、経済がと言われると、それがすべてなんですか?と言いたくもなるだけだ。
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この問題は根が深いと思う。
戦後、日本が物不足に陥ったときの衝撃は大きかった。いわゆる「団塊の世代」がしばしば特徴的な性格をしているのは、乳児のころの飢えの恐怖が根強く、いまだにその影響から抜けきれないからだ。
つまり、当時はまずは生きることが先決だった。そのためには何よりカネだ。稼がないと生きていけない。
日本が貧乏国の間はそれでもよかった。やむを得ない。「人はパンのみにて生きるにあらず」などとは言ってられない。
問題は、この感覚が、延々といまだに続いていることではないかと思っている。
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今の日本は経済大国となって久しく、衰えたりとはいえ先進国の立派な一員だ。生きるためには何よりもカネ、という状況ではない。
無論、日本における貧困問題、社会福祉の問題等々、難しい問題が多々あるのは承知しているが、しかし例えば南欧の経済状況と比較すると、やはり日本は恵まれていると思わざるを得ない。
そして、その南欧でも「人はパンのみにて生きるにあらず」を否定しているとは思わない。
ところが、日本ではアッケラカンと経済問題を持ち出して、だからどう、と言いたがる。
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「人はパンのみにて生きるにあらず」と言うのは、つまり
「人間、カネだけではないだろう?」
と私は言いたいのだ。
「人間、カネだけではない」というのは、カネのためなら何でもするのが人間だ、とは思わないから。あるいは、カネのためなら何でもするような人間になってはいかんだろう、と思うからだ。
それが、人間というものではないのだろうか。
人間が支えとするのは、本来的にカネだけではない。
では何を支えとしているか。カネのためなら何でもするわけではないとして、ではどこに限界があるか等々。考えるべき問題はたくさんある。
そこで立ち止まって考えてみることが必要だと思う。
経済問題の次元は人間の一つの側面でしかないのだ。