なぜかこの記事だけブックマークがついている。
2017-11-01 - 今日の雑談
これは以前書いたことだが、私はもともとリフレ政策に非常に興味があった方だ。そのうちに「では日本銀行の理屈はどうなっているのだろうか」と思って読んだり考えたりしているのと同時並行で、リフレ派がどんどん過激になっていって「ネット右翼」化していったので、これはダメだろうとなり、このブログでもリフレ派を「ネット〇〇派」として批判し始めた。

上の記事で、

理論と実践の違いを忘れているという意味で、リフレ派だろうが財政拡張派だろうが主流派経済学だろうが、何派だろうが、みな同じだろう。

と書いたが、今はもう面倒なので、リフレ派以外についてやり玉にあげるのはやらない。以前ならやっていたと思う。誰かやってくれないかな。

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私はtwitterで、金融業者の人たちをリストに入れていた。最初のうちはよかったが、これも段々とおかしいところが目に付くようになって、呆れるよりなかった。

そもそも呆れたきっかけは、2011年のユーロ危機で、あのときに、別に日本に限らず、金融業者というのは利に敏いだけで、他は何もないのに、口先では偉そうに、と思ったのだった。

政治的に右でも左でもいいが、口先では立派なご講釈は垂れるけれども、歴史的な感覚にあまりにも乏しいのがありありと察せられるのが嫌だった。それはもっともな話で、もちろんただいま現在に生きる私たちは、歴史的な存在であるわけだけれども、しかし金融業の人たちというのは総じてそのただいま現在の、あるいは近い将来の利益をとろうとするのが仕事なんだから、そういう歴史感覚を求めるほうが間違っている。

私が間違っているのはよくよく分かるんだが、それでもそういう自覚がない割に態度がデカいのが少なくないのであって、見るのもつらくなっていた。

はっきり言えば、いくら高学歴で高収入かしらないが、金融業が社会にとって必要なのをいいことにして、たかが金貸しの卑賎な連中が何を偉そうに、と思ったのが正直なところだ。

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もっとも、私が今でもブログを読んでいる金融業の人というのはいて、たとえばドラめもんさん然り、厭債害債さん然り。こういう人たちの書き物は今でも読んでいるので、上の罵倒はないことになるんだが、私にとっては極めて少数だ。

私は、生まれ育った家庭環境のために、カネの問題にはいろいろ思うところがあり、金融業者の人たちのブログやtwitterを見ていたのはそのためでもある。

しかし、私は常日頃、

「そんだけお金があって、よかったね。で、それがどうしたの?」

と思っている。もちろんカネの重要さについて否定するつもりは全くないが、しかし他方でそのように思っているのであって、ネットを眺めているとその気分がますます強くなった次第だ。

それが、倫理観念の問題につながってくるわけだけれども、とりあえずはそれはともかくとして、「人間、カネだけじゃないだろう」と私は強く強く思っているし、そのように生きていたいと思っている。