扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part146 数年前の日銀法改正騒ぎとは何だったんだろう ―「歴代日本銀行総裁論」を推す

今月、講談社学術文庫から吉野俊彦の「歴代日本銀行総裁論」が出た。早速、注文して読んでみた。

「歴代日本銀行総裁論」は、日本銀行の悪戦苦闘の歴史を俯瞰できる好著であって、私のような門外漢にも非常に興味深い記述が並んでおり、名著の誉れ高いのもうなづけると思った

いろんな読み方ができる本だと思うが、例えば数年前に騒がれた「日銀法を改正しろ」という話は何だったのだろうかとつくづく思った。安倍総理が再登板する前、リフレ派界隈が当時の白川総裁にいら立って、日本銀行法を改正して中央銀行の独立性を減じてしまえという議論をしていたと記憶する。

「歴代日本銀行総裁論」で描かれた「日本銀行の悪戦苦闘の歴史」における大テーマの一つは、この中央銀行と政府の距離感の問題、つまり「独立性」をいかに確保するか、が大きなものになっている。

たとえば、戦前の日本銀行総裁の中では一般的には高橋是清の名が高いが、私にはむしろその後の総裁で、2・26事件当時の総裁であった深井英五のことが深く印象に残った。深井総裁は政策転換を高橋に進言し、緊縮を図ろうとしたところ、事件が勃発してしまったうえその高橋が死んでしまうことになり、罪に感じた総裁は非常に苦悩し、事件以後、本来なすべきことと信ずるところができず、人心の安定を優先するという名目で妥協をしてしまったというくだりは、重いものを感じた。きわめて明敏だった深井総裁は、自分がどういうことをしているのかよく自覚していたであろうだけに、その悲劇性が増す。

また、戦中の金融の元締めであった結城豊太郎総裁は、軍部と産業界の抱き合わせを図ることで軍部の好き勝手をさせないようにしようとするも、結局は財政の乱用は止められなかった。それでも、結城総裁は唯々諾々として軍の意向に従っていたのでは決してなく、様々な局面で抵抗を試みていたことが書かれてある。

などなど、初代総裁から興味深い話が目白押しであるから、これ以上は本書を読んでもらうとして、「日本銀行法改正しろだ独立性が高すぎるだのという議論はありゃなんだったのかな」と私が思った、戦後の旧日銀法時代の総裁3人について、少しだけ引用しておきたい。

まず、ローマ法王こと一万田尚登総裁。晩年の対談からの引用をさらに孫引きしてみる。一万田・ローマ法王はこう語る。

そりゃね。中央銀行にとって本質的なものとは何か、ということを、しっかりと、正しく把握しておくことだと思うね。中央銀行というものは、よその官庁とか機関とかと違って妥協しえないという点がある。これだけは絶対にできませんぞ!断じてそう言わなければならん場合があるんじゃね。それが中央銀行の独立性とか中立性とかになるわけですよ

ところが近ごろ、ありゃあ何ですか!公定歩合の上げ下げなどについて、あちこちで、いろんな人が勝手なことを言うておる。下げ幅が多いの少ないの、時期が早すぎるの遅すぎるの・・・・・。

それだからというて、日本銀行総裁が昔のように超然としていてよい、というわけじゃあない。官庁では、大蔵省はもちろんだが、経済企画庁も含めてだし、それに国会方面、ひいてはそれに代表される幅広い国民層というものの理解を求めるような努力をせにゃあならん。もしそういうことをしないで、ただ、「中央銀行の中立性は守るべきである」などと、学者の本に書いてあるようなことを繰り返しておるだけではいけないんじゃ。

こういうことは、日本銀行自体がもっと努力せにゃあいかんことだ、と思うね。

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次に第二十代総裁山際正道。総裁任期中の総理大臣に池田勇人がいた。人間的に立派であるだけではなく、大蔵次官として極めて優秀であり、かつ池田総理と親しかった山際総裁は、高度成長政策を掲げる政府との距離感に苦悩する。大筋では適切な対応をしても、政府との板挟みにあってどうしてもワンテンポ遅れてしまう。

総裁は健康を害して退任することになるが、著者の吉野俊彦は総裁退任挨拶を引用したのちに、こう記述している。

とりわけ退任挨拶の中で、高度成長政策推進下にあって「日本銀行はその職責上いろいろ苦しい場面に立つことがあって、実際私の記憶においても拭い去ることのできないものがあります」といい、「特に中央銀行の仕事を遂行する以上は孤独に耐える勇気を持つということが絶対に必要だということを痛感し」と強調している点は、看過できない。(中略)しかも最後に近いところで、健康を保つことの必要に触れているあたり、心労のあまり自らの健康まで害されるにいたった苦い経験を告白しており、真にお気の毒に堪えない。つかれはて一人とぼとぼ総裁室への回廊を歩いておられた山際総裁の後姿を、いま筆者ははっきりと思いおこさずにはいられないのである。

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最後に第二十一代総裁宇佐美洵三菱銀行頭取から日本銀行の総裁となった宇佐美総裁は、組織のリアクションを慮って非常な気の使い方をした。たとえば総裁の秘書役をどうするかという問題について、

田中大蔵大臣から総裁就任前、三菱銀行から誰かつれていってもよいといわれたのを、ことわっている。外部から総裁が来るだけでも、一部で動揺が起こっていると想像される際、秘書役まで外部から起用したのでは、リアクションはかえって大きくなるであろう、いやしくも日本銀行の人となった以上、三菱とははっきり縁を切るという固い決意で、仕事に邁進したいという気持ちだったという直話を筆者は聞いたことがある。

前任の山際総裁と変わって、宇佐美総裁は何事にも速やかかつ果断に対処して事に臨んだ。山一證券に対する日銀特融はその一つだが、もう一つの仕事は赤字国債の発行の問題だった。当時、国債発行が問題となった時、「日本銀行引き受けの方法により発行しなければ不況対策とならないという見解が有力に唱えられていた」が、総裁は「国債の発行自体は必要であるが、何等歯止めのない発行は危険であるという基本的態度で、この問題に臨み、政府に対して協力すべき点は協力し、主張すべき点は主張するという線を貫いた」。そこで総裁は、国債発行には協力するが、日本銀行引き受けには反対という立場をとった。

宇佐美総裁の対談記事の引用から孫引きする。

ただ、根本的な問題としては、今度の公債の問題にからんで、私としては、日銀の直接引き受けということはなんとしても控えたいというふうに思っているわけです。それでは直接はいけないが、間接ならばいいのかという問題になりますが、間接にもむろんいろいろあるわけで直接に類するようなこともあります。また金融情勢によって、自然に日銀は引き受け、日銀がこれをさらにマーケットに売るという機構ができた場合の日銀保有となると、これは話が違ってきます。

問題は、日銀でなければ引き受けられない、保有できないというような条件はいけない、日銀引き受けだけが目的の国債はだめだということです。

こういう発言をしているのが、「大蔵官僚」出身でもなく、「日銀貴族」出身でもない、民間の大銀行の頭取から出た総裁だ、ということに注意したい。

あらためて、ネットリフレ派の「官僚悪玉論」「日銀悪玉論」とはいったい何だったのかという感を深くする。日本銀行の独立性を減じろと主張して日本銀行法の改正をちらつかせた一連の流れは、あれはいったい何だったのだろうか。

さらに言えば、海外の経済学者たちは、当然こういった日本銀行の苦闘の歴史とその経験なぞ知っているわけがなく(なにせ第三代総裁川田小一郎のときには、日本銀行条例で禁止されていたはずの、株式を担保にした貸出を行っている)、なんだか呆れる気分がした。

もっとも、言うまでもなく著者の吉野俊彦は日銀マンであって、「歴代日本銀行総裁論」はいわば日銀マンの、日銀マンによる、日銀マンのための歴史、と言えないこともない。私は全くの門外漢だからよく分からないが、そういう限界は随所に見られるに相違ない。

しかし、そういう限界を念頭に置いたうえでもそれでもなお、「歴代日本銀行総裁論」は名著、今風に言えば「スゴ本」ということになるだろう。