扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part148 「歴代日本銀行総裁論」を推す 補

「歴代日本銀行総裁論」は第23代総裁森永貞一郎で終わっているが、著者の吉野俊彦は森永総裁については出版と同時期のため経歴だけを記すにとどめ、評価を避けている。

しかし、ここに「日本銀行総裁の適格要件」というのが書いてあって、その筆頭が「政府に対して強力な主張ができる人」だったので、思わず吹いてしまった。いかにも日本銀行の行員が書いた本だと思ったわけだけれども、ここに引用してみる。

金本位制ならいざ知らず、管理通貨制の下においては、とりわけ財政政策とのポリシィミックスが重要であり、したがって、財政当局に対して正しい見解を強力に主張できる人でなければならない。金融が財政の侍女になるようでは、インフレーションの進展は必至だからである。しかし、現在のようなスタグフレーションになり勝ちな異常な事態の下では、単に財政政策だけでなく、より広範な経済政策一般について、経済対策閣僚会議にも適切な進言を行う必要がある。具体的には、国債発行量・国債金利・公共料金・賃金などについて、新総裁の発言にまつところは大きい。

こういう見解を読むと、消費税増税議論の際に次のような意見が広く報じられ、また語られていたのを思い出す。
全文表示 | 黒田日銀総裁が予定通りの消費増税を政府に迫る 権限外への「口出し」、さすが「財務省DNA」の声 : J-CASTニュース

権限外のことへの「口出し」に、日銀内にも驚く向きもありき、財務省のDNAを指摘する声もある。

越権行為ギリギリの言及に日銀内には驚く人もおり、市場では「財務省で税担当だったからなあ」と「DNA」を指摘する声も多い。

Twitter でもこの種のことが多く「つぶやかれた」わけだが、吉野俊彦に言わせれば、少なくともこの点に関してだけは、越権行為どころか、中央銀行総裁たるものかくあるべし、ということになるのではないか。

さらに、これは別に日本銀行に限ったものではない。

ECB のマリオ・ドラギ総裁は、金融政策と構造改革は車の両輪だと口を酸っぱくして言っている。以前より私は、もしもドラギと同じことを日本で言えば、リフレ派もメディアも発狂するんだろうなあと思っていた。もしドラギのように、日本銀行総裁が、構造改革を進めない限り金融緩和しない、と言ったら、いったいどういうことになるのだろうか。

ただし、ドラギの場合は重要な文脈がある。彼の思惑は、最終的には欧州合衆国を建設することであり、危機を欧州統合の一助にする、改革の後押しの材料にする、ということがあるから、だから金融政策と構造改革は車の両輪だと言ってはばからない。そして、ドラギの見識に反対するものは、枢要の政治家の中にはおそらくそういない。欧州統合過程を逆戻りさせるわけにはいかないからだ。

そうなるとますます、日本銀行総裁と大違いだなあという印象を強く持つ。もし、日本の中央銀行の総裁が、そこまで大きなプロジェクトを意識して、かつ「政府はとっとと構造改革しろ、でないと国債なんぞ買ってられん」と言ったらどうなるか。

たぶん、そういう総裁は、日本だと、すぐ首が飛ぶんじゃないか。これでもまだ、日本銀行は独立性が高すぎるらしい。嗚呼。