扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part147

前記事で、

さらに言えば、海外の経済学者たちは、当然こういった日本銀行の苦闘の歴史とその経験なぞ知っているわけがなく(なにせ第三代総裁川田小一郎のときには、日本銀行条例で禁止されていたはずの、株式を担保にした貸出を行っている)、なんだか呆れる気分がした。

と書いたけれども、これは日本の学者でもどっこいどっこいだということを、私は bewaad さんのブログ記事を思い出して嘆じざるを得なかった。

http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20110401/p1

飯田泰之が「日本銀行総裁というのは97年までは大蔵次官になれなかった人のためのポストでした」と言ってのけているのを見て、bewaad さんは呆れているんだが、これはもちろんウソっぱちで、少なくとも戦後の日銀総裁で大蔵省出身者はみな次官経験者だった。

bewaad さんは、

つまり、この応答は、そもそも時期が違うものを引き合いに出している上、その引き合いに出した例も事実無根という、残念ながらダメと言わざるを得ないものです。webmasterにとって何がショックかといって、このダメさもありますが、それ以上に、発言者が飯田先生であることでした。だって、あの飯田先生ですら、こと日銀に関しては信頼するのは危ないというなら、誰を信頼すればいいというのでしょう?

#とwebmasterが個人的に強い衝撃を受けたので本エントリを前倒した、というのが裏事情でございます。

と書いているが、今だったら「まあ、飯田泰之なんてその程度の人でしょうよ」ということで済んでしまう話なんだが、3年前の bewaad さんはまだリフレ派がどういうものか錯覚していた。

ただ、結局ネットリフレ派がやる物事の切り貼りの都合の良さが、ひたすら浮かび上がってくるなあと改めて。

追記
それにしても、

「彼らは役人人生の最期の花道を飾っていたわけで、傷つくようなことはしたくないんですよ。なので可もなく不可もなくを狙ってその後の素晴らしい人生を迎えたいわけですね。」

とか、これ、本当にそういうことを言ったのであれば、よくもまあいけしゃあしゃあとこんなことを言うなあと思うわな。山際正道の前で同じことを言ってみろよって。