ネット○○派 part441 「誰も死ねとは言っていない」の残酷さ

ネット上の徒党の問題を扱っている当ブログですが、最近ではステーキハウスのバイトの件でも、ネットの反応はおかしなもんだと思いました。

悪は罰しろと平気な顔で主張する人たちで一杯。。。よくもまあ、これでワタミのことが批判できますな、この人たち。自分たちの言動がよほど「ワタミ」じゃないか。

と、すさんでいたわけですが、こういう人もいますというわけで。
https://twitter.com/kawango38/status/367201630006947841

ネットに蔓延する「ご立派病」。みんな他人事には厳しくて立派なこという。自分の手を動かさない人間が他人のミスをあげつらう。

https://twitter.com/kawango38/status/367223106735046656

ネットというアーキテクチャで他人への攻撃が容易になった現在、求められるのはより他人に寛容な価値観だと思うが、なぜか先鋭的で過激な主張が人気を集める。そんな住みにくい監視社会をみんな望んでいるの?

https://twitter.com/kawango38/status/367422675674603520

↓ネットの炎上で正義感を発揮して暴れているのはまさにこういうひとたち。こんな下劣なひとたちがネットで私刑やっていて、しかも自分がいいことをしていると勘違いしている。

https://twitter.com/kawango38/status/367481637673512961

無関係の店の被害に想像力を羽ばたかせて、深く感情移入できる「ご立派様」たちは、自分達が追い詰めたバイト君が自殺でもしたら、どう責任を取るのか、それとも目標達成と祝杯でもあげるのか。

全く同感で付け加えるべきことは特にありませんね。

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それでも重複を恐れずに何かを書くとまず、ネットはこれだけ利用者が広がったんだから、「物を書くなら批判覚悟で書け」と厳しいことを言ってられなくなってるのが現実だ、ということです。

そりゃね。クリエーターさんや作家さんにはそういう覚悟は必要だと思いますよ。少々の抗議だなんだで引っこめるような覚悟では困る。

でも、そういう人ばかりではなくなってるんで、そういう現実から考え始めるべきだろうと私は思います。

それでもどうしても「批判を受ける覚悟がないなら物を書くな」「煽り耐性・スルー力を身につけよ」と主張するなら、ネットを利用する前にネット利用適格試験のようなものを課してはいかがでしょうか。

でも誰もそこまでは主張しないんですよね。おかしいですよね?

私は、たとえ嘘でもデマでも、いろんな意見があった方がよい、誤情報とはもう共存するしかないと思っているので、ネット利用者に試験を課すことに反対しますが。

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もう一点。「自分達が追い詰めたバイト君が自殺でもしたら、どう責任を取るのか、それとも目標達成と祝杯でもあげるのか」とありますが、この点、非常に重要だと私は思います。

というのも、この種の「正義」の人たちはこれに対して「誰も自殺しろとまでは言っていない」「死ねとは言ってない」と返答するに相違ないからです。

しかしですよ。

ネットで散々正義の鉄槌を恣意的判断と基準に基づいて下し、ある見解の強要を数の力でやっておいてです、「誰も死ねとは言ってない」と言い張ることは何を意味するかと。

ようは、いじめの話で散々いたぶっておきながら「自殺するとは思わなかった」みたいな話とここは全く同じなんで、それで自分の責任が回避できると思っているなら本当にどうかしてるとしか思わないし、分かっていて言っているなら卑怯千万だと言うよりない。

「誰も死ねとまでは言ってない」ということの無責任と卑怯千万ぶりについて、このところ非常に思うところがあるので、書いてみた次第。