ネット○○派 part421

ネット○○派がなぜああなるかというと、私はもうごく単純に、他人とつるむからだろうと思っています。


他人とつるみだすとそちらが面白くなってきてしまって、本題よりそちらの人間関係を優先するようになってしまう。


そこで空気を読みだすともうダメでしょうね。筋が通った議論でなくなってきて、ダブスタでも何でもありになるわけ。


他方で、このことは本題の議論が単なるおしゃべりの「ネタ」として消費されるだけだということにもつながるんだと思います。で、おしゃべりの「ネタ」に過ぎないから実現性とか現実性は脇においてるわけだけど、その割に「俺たちは正しいことを言っている」という正義感だけは昂進しちゃうと。「仲間」がいますからね。

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したがって、ネットで他人とつるんでどうこうということは、今はほとんどやらなくなった。昔よくやってたんだけれど。それこそ人権擁護法案反対運動の時とか、あの反対運動に抵抗するために。


ところが、皮肉なのは、インターネットは盛んに「絆」とか「つながり」とかが強調される。つまり、他人とつるむことを奨励する、もっとつるめと促してるわけです。


まあ、おしゃべりで遊んでいるだけのうちはそれでもいいんでしょうが、ある議論があってその是非が問題になるとき、「これが正しいかどうか」「正しい立ち位置かどうか」が問われてくる場合がほとんどなわけで、そういう意識と他人とつるむことが一体になると、もうこれは容易にネット○○派へと化ける。「俺たちは正しい」になると誰にも止められなくなる。


正義感の発露は結構だとしましょう。誰だって俺の言っていることは正しいと思って何事かを言うんです。


だけど、そこで他人とつるんで小さいながらもある勢力になったとき、何が正しくて何が間違いかのダブルスタンダードをやられるとこれはたまらんというんです。


常に「正しい」ポジションに居続けられるならそれも結構かもしれません。でも、二重基準を振りまわされて自分が攻撃されたらどうします?普通は不合理に腹も立つし悔しい思いも時にはするでしょう、と。


それも二重基準そのものが悪いのではない。扱いの差に合理性があれば話は別だ。でもたいていそうじゃなくて、、、ネット○○派と私が言っている人たちは、、、単に「○○先生がそう言っているから」「××さんもうそう言っている」云々、ようは「みんな」がそう言っているから正しいのはこっちだろと言って、正義のただ乗りをしているだけで、それで二重基準を正当化させている。寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ。


それでいいわけないでしょう?


というのが、私のネット○○派に対するもっとも根本的な疑問なんです。