ネット○○派 part400

元祖御用一般人: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

HALTAN氏が、斎藤淳氏に元祖御用一般人認定されたと嬉しそうですが、
http://haltan.hatenablog.com/entry/2012/06/07/092018
有り体に言えば、昔リフレ派シンパだった分、裏切られた思いで、かわいさ余って憎さ百倍で、ひたすら悪口を書き連ねているということであって、誰かの「御用」を買って出るようなしおらしいところはとても見当たらないですけど。

ああ、裏切られた思いがするというのは、他人は知らず、私なんかはそうだなあ。


リフレ論を知ったのはBewaadさんからじゃなかったかな。Bewaadさんへの信頼からそれで余計にリフレ論に信頼をかけてた部分はあったと思う。リフレには距離を置いている本石町さんあたりがBewaad さんの議論には一目置いていたくらいだから、私のような無知な人間が感心するのも無理はない。それに、以前はここまで無茶苦茶なことを言う人たちでもなかった。。。と思うんだけど、hamachan先生の手にかかると先生は相当以前から見抜いてたんだから、まあプロにはかなわない。


ちなみにニセ科学批判なんかもそうなんですよ。最初はもうちょっとまともなもんかと思った。懐疑的になったのは、このブログを始めるもっと前からですかね。

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もう何度も書いてるけど、もともとは「ネット右翼」と言われるような、ネット上の徒党の現象に興味があって、またこれに批判的であったんですね。


むしろ、もともとは私だってその種の「徒党」、あるいは「仲間」を作って遊んでたわけで、そういう反省があるんです。


そしてネット右翼やはてサのような政治ネタはもう以前に随分書いて飽きたので話題を変えた。ニセ科学批判やリフレ派を「ネット○○派」として括って悪口を書く、というのはつまり、かつて彼らと同じように遊んできた自分に対する悪口でもあるわけで、その辺は汲んでもらいたいと思う。

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ニセ科学批判にしろリフレ派にしろ、彼らは自分はそこそこ頭がいいと思ってるのでネット右翼とは違うと思ってるだろうけど、でも実際はやってることは全く同じで、違いと言えばネット右翼のほうが議論が雑すぎだとか知識の点でとかいう・・・ことだったんだけど、最近のリフレ派はもうそういう違いもなくなってきてますわね。


それはともかく、問題は彼らに共通する点は一体何かということで、それはつまり自分たちが正しいと信じているもののために「つながり」を構築して、その正義を他人に押し付けようとして恥じない、そしてその「正義」は実は相当に相対的であるか、根拠に乏しく、正当性を担保するものは単に自分たちの声の大きさだけなのにその自覚がない、みたいなところなんです。


分かりやすいところだと、ネット右翼や、ネットのその種の「愛国者」の類の人たちは「自国を愛して当たり前」それが自然の感情だと言うところから出発する。でもほんとうにそれが「当たり前」かどうかは吟味しない。


ニセ科学批判だって同じで、科学的な誤りを指摘して何が悪いとか、詐欺は許せないじゃないかとか言うわけだけど、でもそういう自己正当化の二股かけをやることで絶対に負けない議論を構築してしまっていることはこのブログで繰り返し書いてきたことで、つまりそういう「自明の前提」や「当たり前」の建前で釣ってる部分が非常にある。リフレ派も同じですよね。デフレはよくないってまあそうだろうと思うけども、そこから先でこの「自明の前提」に寄りかかってる。


ようは、この「当たり前」や「自明の前提」を疑うことをやらないうえ、結局ある正義を決定づけるのは声の大きさだけだというところに最後は依存してしまっていて、どんなにもっともらしい理屈を語ってもそれがうまく機能していないんだ、ということがよく理解されてないんです。


個人的には、ある正義を裏付けるものが声のでかさだけになってしまっていて、二重基準もなんでもあり、みたいなことで本当にいいのかと思っています。リフレのためには高橋洋一の妄言も許容するとか、ホメオパシーを批判するくせに漢方も鍼も叩かないニセ科学批判はなんなんだというのは、全てここにつながっています。

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そうは言っても、自分だってこういうものに引っかかって、一時は多少なりとも信頼してしまっていた過去があるわけで、悪口を書き連ねることでひたすら自分を叩いている、とまあ、私の場合はこういうことなんですね。

追記
もっとも、自分がそういう風に引っかかって来たので、他人がまたこういうものに引っかかってもらいたくないという気持ちがないかと言えば、ないことはありません。


でも、そういうことを自分の発言の根拠としてあまり大きく言いたくないな。それに、本当にそうしたいんだったらもっと別のやり方をとったほうがいいと思う。ネットの影響力なんて限定的だと思ってるからなおさらです。


まあ、とはいえ、たまに目を入るものを見てしまうと、何事かを言いたくなってしまうねw。


追記2)
もちろん、ノーベル賞とった経済学者に文句を言うつもりはないんだけど、リフレ派なんかの場合、やっぱりクルーグマンのあのスタイルというか、ホラの吹きぶりが日本のリフレ派に相当の影響を与えてじゃないかと最近思うんですよね。あの人は、できないことをわざと言っているんだけど、そういうある種のレトリックの部分やホラ吹きの部分まで真に受ける必要はないし、真に受けて真似する必要もないと思う。


本石町さんのTweetから回って来た次のような記事でも、ユーロ危機に関するクルーグマンの主張は”effective but politically unrealistic”と評しています。僕もそう思う。少なくとも、そんな簡単な話じゃないだろうし、次善であっても実現可能な政策を提案しないとホラをいくら言っても意味がないだろと。もちろん、理念や理想、あるいはある種のホラを語ることの重要性は認めるとして、です。
From Krugmania to Draghia: Five ways to save the euro zone - The Washington Post


・・・と思うんだけど、ノーベル経済学賞をとった経済学者がああ書いてしまうと、真に受けて読んじゃう人ってやっぱりいます。ホラ見ろ、NYTでクルーグマンがこう書いている、こんなことも分からない欧州の政治家やテクノクラートどもはバカだ、ドイツはアホだ云々。。。いや、分かるんだけどさ、それほど割り切れる話にできないんじゃないの?という躊躇というか懐疑の姿勢が、ノーベル経済学賞受賞の経済学者にああ書かれるとなかなか取れない、鵜呑みにしてしまうというのも、またもっともな話。そういう意味で、クルーグマンの罪とでもいうかな、そういうものがある気が最近しています。それはユーロ危機だけじゃなくて、多分リフレ論でも同じのはずで、日本のリフレ派をおかしくしてるの、実はこいつじゃないのか、と言ってもいい。


だって、この種の「実現不可能なホラ」を実現不可能と承知で吹きまわってるのが、リフレ派の煽り手たちでしょう?。。。ちょっと脱線すると、電力不足を甘く見て出来ないことをできるとホラを吹いて煽って政府を批判して支持を集めようとするとか、大阪の橋下徹もやり方一緒。しかも、その橋下はホラ吹きの高橋洋一や古賀茂明を政策の実務を知っていると言って信用するんだから、ひどい話です。


それでも、たぶん、クルーグマンはまだましなんだと思う。悪いことに、日本人では誰も「日本のクルーグマン」はやれてない。同じリフレでもクルーグマンとはまるで方向性が逆だし、たぶんいくら彼がホラ吹きでも高橋洋一のような無茶苦茶までは言わないと思う。ポールの主張はホラであっても彼なりに筋が通っていて、それはそれで分かる。でも、日本のリフレ派はそうじゃない。


どうだろう。米国民主党支持者のクルーグマンが、毎度ああいうアジテーションを書くことに多少なりとも責任を感じているんだろうか。感じていると信じたいし、感じているはずだと思う。そう思いたい。


でも、日本のリフレ派はどう?彼らには責任感を感じている様子は全くないし、リフレ派の有名人がテレビに出たら喜ぶばっかり、高橋洋一の妄論を批判するような責任を果たさない。


いや、「リフレ派」だけじゃなくて、「リフレ論支持者」みたいな人たちも同罪。そういう詭弁を、僕は認めたくない。


リフレ論を支持しているならなおさら、リフレ派が極右や橋下のようなポピュリストと手を組んでいる現実、高橋洋一のような妄説などなどを批判するべきで、リフレ派を自称しようがしまいが、そこは関係がない。


「単にリフレ論を支持してるだけだし」といった言いわけは言いわけになってない。


そういう形で、あまりにもひどい無責任がリフレ派内(リフレ論支持者、としてもいいかもしれないが)にあって、それがいろいろ腐らせてる。


で、ネット○○派として大きくいえば、他の徒党でも全く同じなんで、リフレ派はその一つでしかないんだ。