リフレ政策が実現するとは思われてなかった10年以上も前は、自殺と経済政策を結びつけられたりしていた。「正しい」経済政策を打たないから自殺者が多いのだ、というような議論で、菊池誠などは今でもその種のことを言っているようだ。

ただ、財務省の近畿財務局の職員が自殺した話を考えると、この人の命はどう思うのかと、やっぱり私は言いたくなる。

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そもそも、議論をしているときに人の命の問題を出すことはよくよく慎重になった方がいい。というのも、議論が無駄に非妥協的になってしまうからで、ニセ科学批判なぞもホメオパシーを云々するときに人の命を持ち出すものだから、全く話が出来なくなってしまった。

リフレ派も、リフレと自殺者数と結びつけたのはそういう効果を生むためであって、ようは脅迫したのだ。

だから、あまりこれを言いたくはないわけだが、しかし「ああそうですか、リフレ以前の自殺者は『正しい』経済政策をしないせいだと言って利用して、今の内閣のために自殺した人のことはつまらない事件で犬死したアホ、という扱いでいいわけですか」くらいは言いたくなる。

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リフレを云々していた人たちは、そしてリフレをやってくれるからという理由で安倍内閣を支持する人たちは、自分に都合のいい「正義」を振り回していたこと、そして今でも振り回していることに気が付かず、安倍内閣を批判する人間を十把一絡げに「正義の行きすぎ・押し付け」としてそれで済まそうとしているようにしか見えない。

仮に左翼に「行きすぎた正義」による議論があるとして、それを笑うほうに本当に「行きすぎた正義」がないのか、よく検討してみた方が良い。

そして、「行きすぎた正義」とは関係なく、今の安倍内閣の行状を本当に批判できないか、考えるべきではないか。