ネット○○派 part409

ニセ科学批判なんか典型的なんだけど、彼らをネット右翼と同列に論じて挑発したときに、自分たちは正しい情報を書いている一方でネット右翼は違う、と反論したりしたんですよね。


で、僕はむしろそういう半ば開き直った反論が怪しんじゃないかと思っています。つまり、正しい、裏付けのある情報を書いているということは、必ずしもすべてを正当化するものではない。


・・・じゃどこまで正当化できんの?と。


それはリフレ派だってそうなんで、かりにリフレ論が「正しい」政策であるとして、それを主張するのは全く構わないけど、その主張の仕方という点においてどこまで正当化してくれるんでしょうか。

・・・

いま、はてブはコメントを見せなくさせる機能がついたり、Twitter に移行したりしてかつてほどではなくなったけど、以前は相当に問題だと感じることがよくあったように思う。


例えばホメオパシー批判に対する疑問をここで書くとして、わーっと批判が来る(数年前のはてブとかいまだに見てないんだけど、たぶんほとんどが批判的見解だったんじゃないかな)。なんでそうなるかというと、ホメオパシーは悪だと決まっているので、ホメオパシーは批判されて当たり前、ホメオパシー批判にいささかの疑問を挟むと、悪であるホメオパシーの肩を持つ、理解を示すものとして指弾される。


もっとも、個人で指弾するなら、個々人の見解として別にかまわないかもしれない、賛成反対批判無関心、どういう態度でもいいんだけれども、、、ブログのコメント欄の炎上騒ぎとかからずっとそうだけど、ああいうのは徒党になることで自分たちの正しさを再確認し、正しい自分たちの正しい意見を認めさせたがってるんだと思う。そのためには個人ではダメだから結果的に徒党になる。

・・・

前から書いているけれど、こういうネット上の徒党は、主張が正しいかどうかにあるんじゃなくて、主張する当人たちが自分たちの主張が正しいと深く確信しているところに由来しているんで、客観的な真実性はこの際どうでもよい、あくまでも主観的なそれにあるんだと。真実性の確信が深すぎること、確信の度合いの問題なんじゃないんですか。


だから、「ニセ科学批判はネット右翼と異なり正しいことを主張している」というのは、あまり反論にならない。。。もちろん、科学的誤りを指摘するのは全く問題ないんだが。なんせ科学的にそれなりに合理性がある、確からしいという話であれば、余計に「自分たちは正しい」という意識は昂進する。その主観的な面、またその結果として出てくる徒党の面では、ネット右翼ニセ科学批判も、大した差がない。

・・・

あとは蛇足なんだけど、たまたまこういうの見ちゃったんだよな。。。
中央銀行は何ができるのだろうか – REAL-JAPAN.ORG
ドイツの新聞は「中央銀行の死」とか書いとるぞとか、問題はドイツと南欧諸国の国債金利の差なのにとか、リンクされている記事の「識者」でそんなポジティブな評価してない人が外国の金融機関の外国の人にいるのになんでそこまで日本と海外を対比的に論じることができんのとか色々突っ込めそう。で、こういうものを smith796000 とか hidetomitanaka とか baatarism とかが回覧してて、
https://twitter.com/honnenogod/status/244071039422840832

@kyounoowari 素晴らしい論評ですね。これが本物のジャーナリストと言うようなコメントですね

とお追従を言う人間が出てくる。で、この人のTwitterを見てみると。。。→ https://twitter.com/kyounoowari


・・・何も言う気なくなっちゃう。まあもっとも、これはそんなに読まれなかったのか、RTもあんまりされてないようなんだけれども。。。


ネットでリフレ論を論じる人たちには、最初はもっとまともな人たちがいたかもしれないし、そういう人たちがいればあるいは重しになってこういうアホな記事を推奨するとかは控えられたかもしれない。でもそういう人たちがどんどん離れて行って、結局「リフレを支持する自分たちは正しい」「リフレをやらない日本銀行財務省を批判する我々は正しい」という確信を過度に持った人たちだけが残ってこんなことになってる。仮にリフレ論そのものは全く正しい議論であるとしてもこのザマだと。


僕はネット右翼に多少関わってしまったことがあるのでその辺、深く反省しているんだけれども。。。


追記
何度も書くけど、徒党の問題ってやっぱり色々な物事の判断に際して二重基準が用いられた時の問題が相当あると思います。


もちろん、二重基準そのものは、きちんとした説明がつくんだったら判断に差が出るとしてもそれはそれで問題ないわけです。


ところが、徒党が出来てしまっているとそこら辺をきちんと吟味しない、あるいは吟味した気になって良しとなってるんじゃないのかな。


リフレ派だったら、「リフレ政策支持するものがリフレ派」と言いながら、歴史修正主義を叫ぶ右翼に甘くて、hamachan先生みたいなリフレを支持しながらの社民主義寄り、あるいは「増税社会保障充実派」に非常に厳しいというダブスタをどう説明するのかというと、まあ無理なわけです。あるいは、経済成長を説きながら、反原発派を安易に容認してしまうダブスタ。などなど。


ニセ科学批判なら、ホメオパシーを批判しながら、漢方や鍼を「変な理屈で」容認するダブスタ。英国のホメオパシーはいいけど日本のはダメだというダブスタ任天堂DSはいいけどゲーム脳はダメだというダブスタ。などなど。


このへんのダブスタにあまり疑問を持たなかったり、あっさり許容してしまうあたり、党派性の表れなんだろうと思うんですが。つまり、本来疑問を感じるべきところで感じないでスルーしてしまう、あるいは信じてしまう人が複数でてくるあたりで、何かがおかしくなってくるのでは。。。