ネット○○派 part406

80%は賛成だが: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

まさしく、「りふれは」も、「ねとうよ」も、人権擁護法案反対運動も、「はてさ」も、まったく同じ構図に見えるというところは同感ですが、ニセ科学については逆では?
つまり、「自分たちの主張が現実との接点を持たないからこそ、ますます「分かっている正しい俺たち」という意識だけ突出」してるのは、どう見てもニセ科学を批判している方じゃなくって、ニセ科学をやってる側に見えますけど。

おっしゃる通りで、ニセ科学をやってる側もそうなんです。こちらは分かりやすい。

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追記:適当に書いていると長くなったので、まとめると次のようなことかなと思う。もういっそこれだけでいいです。


まず、ニセ科学批判は合理主義者・懐疑論者として徹底してない、あるいは物足りないという点。「現実的」という建前で綺麗に妥協したつもりになって、漢方すら正面から批判する気がない人たちが、ホメオパシーを批判する海外の懐疑論者や疑似科学批判の人たちをしゃーしゃーと引用して論ずるなど、ちゃんちゃらおかしい。


第二に、批判対象の選択基準が非常に曖昧で、かなり恣意的に選択されているにもかかわらず、もっともらしい理屈をつけて徒党を組んで叩くのはいかがなものか。ここではホメオパシー批判を特にとりあげたけども、他にも類似の例はありそれは以前に書いた。


つまり、自分たちの好き勝手に批判対象を選択するうえに、科学的合理性が高い理由で集団で批判するんだからたまったものではない。非常にアンフェア。


さらに、批判対象の選択の際につけられる理屈そのものもかなり怪しいことも過去に書いたけれど、略す。ようするに相当の詭弁があるのに、ニセ科学批判の人たちはそれを疑ってない。


第三に、このように適当に恣意的に「敵」「悪」を選んだ挙句にもっともらしい理屈をつけて集団で叩くのは、なにもニセ科学批判に限ったことではない。そして、ニセ科学批判のようにそこで論じられる理屈が「正しい」ほどに、この種の「批判」を是認してしまうのはかえって危ない、そのメンタリティには注意が必要なんじゃないかということ。なぜなら、恣意的に批判対象を選択したうえ、「正しい」理屈で徒党を組んでこてんぱんに批判してしまえるので。


・・・「危ない」と書いたけども、ニセ科学批判そのものはほぼ人畜無害だろうとは思います。前も書いたように、そもそも僕は自分がネット右翼にやや加担したようなところがあり深く反省した上でネット右翼などの政治ネタを批判的に扱っていた経緯があり、それにも飽きたので、新しいブログでは割に人畜無害なネタを選んだらニセ科学批判だった、というに過ぎません。


ただ、ニセ科学批判と似たようなメンタリティはリフレ派にも見られるところで、また実際に両者には交流があるわけでもあり、さらに公務員叩きや3・11以降の電力会社叩きの様子を眺めていると、単に味付けがインテリ風か大衆風庶民風であるかの違いだけで、根本はおそらく同じだろうと。


根は同じものが、たまたま「ニセ科学批判」という形ででてきたのであって、、、それはニセ科学というミイラを取るつもりが自分たちもミイラになったんでしょう。

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ニセ科学批判の場合は、科学的正誤の問題を指摘する部分については全く問題ない、それどころかドシドシやってもらいたい。なんせ科学的に合理性の高いことを主張してるわけで、自分が間違ってるわけがない、と考えるのが当たり前。ただ、そこでたいてい行き過ぎる。倫理的な問題や社会問題を絡ませてくるので話がややこしくなっちゃう。


ホメオパシー批判がもっとも典型的で、最後は「人が死ぬ」「子供の命が」と言いだす。。。もちろん結果的にそうなった事例はあるし、ほとんど詐欺みたいな話もあるから怒りを買うのももっともなんだけど、ホメオパシーそのものには副作用はないわけで。


じゃ、なんでそこまでして自己正当化をはかってホメオパシーを批判するんでしょうか、と。


釈迦に説法で恐縮ですが、ホメオパシーは、少なくともヨーロッパでは、広く日常に浸透しています。私のごく身の回りの見聞からでも、それは実感しています。


元来、ヨーロッパや米国でホメオパシー批判をやるような人たちは、合理主義にのっとった批判をやろう、不合理なものは批判することで社会を改善しようという文脈から批判するものです。そこで、不合理の象徴としてホメオパシーのように科学的合理性に欠けるにもかかわらず、広く普及した療法を批判するのは、それはそれで筋が通るし、一つの立場として理解できます。


他方、日本でホメオパシーは浸透しているかと言うと限定的です。もしも海外で疑似科学批判をやるような人たちと同じ文脈で批判をしたいなら、日本なら漢方や鍼などの東洋医学を中心に批判するのが筋です。というのも、漢方は研究されていますが、理屈だけを考えたら、他の薬品と同様の検査をして通ったもののみ使い、他は全て否定・留保すべきだし(それこそホメオパシー批判で「本当に『効く』なら二重盲検法をやってみろ」としばしば言われるように)、鍼はプラセボだというドイツの調査があり、ニセ科学批判の先生が関わっている翻訳本でも鍼は批判的にとり上げられています。となれば、これだけ合理性の欠けたものが浸透しているのはおかしい、と主張しなければならない。しかも、鍼だって漢方だって、死亡事故がある。


もっとも、鍼にしろ漢方にしろ、「科学」は装ってないのでニセ科学批判の対象外だと言われるとそうなんですが、ところが漢方は歴史がある、鍼は痛み止めくらいならいいという妙な理屈でこのダブルスタンダードが許容されちゃうんですね。


つまり、ニセ科学批判の批判の基準が合理性の有無にはない、大してそこに重きをおいていないということがここではっきりしてきます。では、なぜホメオパシーはあれだけ苛烈に批判して、鍼や漢方は許容してしまえるのでしょうか。


よく言われる、日本のホメオパシー絡みの団体がひどすぎるから、「科学」のラベルを利用した詐欺だから、というのは根拠になりません。それは社会問題消費者問題の次元で解決されるべき問題で、科学的に誤りだという主張はもちろんその助けにはなるけれど、「ニセ科学」という括りをわざわざ持ち出してニセ科学批判の立場から科学の問題として扱うことの主たる根拠にはなりにくい。他方で、もし科学や合理性の問題にするなら、鍼も漢方も同様に、あるいはホメオパシー以上に苛烈に批判しなければならない。でも現実のニセ科学批判はそうなってない。


そうなると、批判対象を選考する際の明確な基準がないらしいという話にならざるをえなくなるので、強引に議論を持っていって、最後は「人が死ぬ」「子供の命が」と自己正当化するしかなくなる。


かくして科学の問題と社会の問題、倫理的道義的問題と重ね合わせて論じ絶対に負けない理屈が構築され、命の問題で脅しにかかる。あとは、ネット右翼やリフレ派と全く同じです。


自分たちが恣意的に選んだ「敵」を叩くための理屈をひたすら構築して、ニセ科学批判にいささかでも疑問をさしはさむと「周回遅れ」などと嘲笑して見せる。


しかも、あれだけ批判するわりに、リアルにほとんど影響力がない。たまにどこかの先生がテレビや新聞に出るとか、フォーラムで集まってダベるとかくらいで、リフレ派の方がよほどリアルの政治に影響力を行使しているように見えるくらいだ。


たぶん、本当にニセ科学をどうかしたいんなら、まず自然科学教育をちゃんとしよう、教科書を厚くしよう、いい先生を育てよう、自然科学に興味を持ってくれる子供を育てよう、日本の科学ジャーナリズムをもっと盛りたてよう、という方向になるしかない。もちろん、何もないとは言わない。でも、まあ、現実はほとんどブログやTwitterで遊んでるだけなんですよね。。。あら、どこかで見た風景に似ている。


こうなると、ミイラ取りがミイラになっちゃってるんです、ニセ科学批判って。

ま、でもここはjura03さんの一丁目一番地のようだし、ここをほじくって「敵」認定されたくもないので、これくらいにしておきますが。

別に「敵」認定はしませんのでw。


確かに、ニセ科学批判の問題はパッと見、分かりにくいんです。批判そのものはもっともだから。だから、ニセ科学批判の問題がいまいちピンとこなくても、それは理解できます。かく言う私も、最初はニセ科学批判の問題がよく分からなかった。


でも、かつてのはてブでの叩き方や徒党ぶりを思い出すと、リフレ派界隈と同列にしても全く問題ないと思う。リフレ派とニセ科学批判がシノドスで同居していて、これが元をただせば黒木掲示板あたりでつながっており、稲葉振一郎先生にいたってはリフレ派でニセ科学批判シンパで、、、とこの辺りは以前書いたんですが、リフレ論もニセ科学批判もどちらもシノドスを読むような「知的」なインテリやなまじ高学歴の人たちが「正しいことを知っている俺(たち)」という意識を満たしてくれるネタとしてうまく消費・利用された、という面もあったんだろうと今は理解しています。リフレもニセ科学批判も、海外の議論を文脈抜きに都合のいいように持ち込むところも似ていて、まあ、インテリの心をくすぐりますよね。。。当初はネット右翼と同列にして挑発したりもしたんですが。


あと、個人的な感情としては、それなりに管理されるならホメオパシーみたいな不合理なものがあったっていいじゃないか、それが余裕ってものなんじゃないの?という気分もあります。合理主義は好きだし大事だけど、理屈だけでは息苦しい。


ネット右翼なんて単純な愛国心とか「反日」への憎悪しかないのでその点まだかわいらしいもので、ニセ科学批判の場合、単なる感情論を一見まともそうな理屈で正当化しているつもりになっているので、かえって問題だろうと感じています。


「あいつは叩いてもかまわない、そーれやっちまえ」は危険だけど、「あいつは叩いてもかまわない、なぜならかくかくしかじかだからだ、絶対に許せない、そーれやっちまえ」と煽る方がもっと怖いんじゃないでしょうか。ニセ科学批判はえてして「正しい」のでなおさら。(このあたりは、はてさがもっともらしいことを言いながら結局自分の党派に都合の良いように「ネタ」を利用するだけ、みたいなのと似てるかもしれない)


そんなニセ科学批判の気分は、リフレ派で日銀陰謀論霞が関叩きにいそしむ人たちの気分と相通じているんだろう、と思います。


追記2)
この辺りのことがパッと分かりにくいのは理解できるんだけど、某政治学者が嬉々としてニセ科学批判の人のTweetをRTしてホメオパシー批判に良かれと思って無邪気に参加しているらしいところを見ると、ほんと呆れるんだ。あんた何のために政治学やってんの、って。

追記3)
「『あいつは叩いてもかまわない、なぜならかくかくしかじかだからだ、絶対に許せない、そーれやっちまえ』と煽る方がもっと怖い」と思ってるので、だからあえて政治ネタは避けてきた、というのもあるんですけど、まあ、リフレ派の無茶苦茶ぶりや橋下徹のような人物の出現にいたって抑制を解いた部分は、正直言ってあります。


とくに、橋下に対してはむしろ「絶対に認めてはならない」「そーれやっちまえ」と考えてるくらいなんですが、この場合は政治ですからそうなるのはある意味では当然です。醜い話ですけどね。


他方で、ニセ科学批判ってそういう意識が薄いのにわーっと叩いてしまうので、非常に怖いです。