ネット○○派 part356
このブログは、冒頭に掲げてあるように「無責任」を表明しているわけなんだけれども、それというのも、
ネット○○派 part354 正しい自分たちは正しい - 今日の雑談
このブログではネットに限定して書くことにしているけれども、いろいろ問題があって、例えばネットの言説で何がただしくてなにが間違っているかそう簡単に判別できるのかという問題が一つ。ほとんどの言説について、裏付けが取れないし、せいぜいそれを書く人の肩書や専門を信頼する以外に他ないことになってしまっている。
そこで、ネットの住民たちはそれぞれに正しいと考えるものを選択して、その立場をとるわけで、しかしそれはAとBのどちらを選択しますかという問題にたまたまAを選んでみましたというにすぎない。
というネットのなかで、
「リアルでどんな人たちなんだか知らないが、たいてい、いくらご高説を垂れようが大したこと言ってないよ」「大した話じゃないのに、感心するのはいいけど、それが過ぎてネットで仲間だつながりだをあんまり求めるなよな、バカ」
・・・というイヤミの姿勢を当初からとっている。それが前提だから、あんまり偉そうなことを言いたくないし、言える身分でもないんだけれども。
・・・
インテリとか知識人とか、それなりの学歴がありそうな人たちにとりわけ呆れ出したのは、やっぱり大震災のあとに展開した、Twitterの、まあ、「惨状」をこの一年、見てきたからだと思う。それ以前からわりに呆れてた方だと思うんだけれども、でもリフレ派の先生のものを読んだりしてたようなところもあったのでね。
そういう「惨状」をとてもよく象徴していたと思うのは、あれだけの地震が起こって、直後に「帰宅難民」騒ぎが起こって、Twitter界隈だと展開された話がほぼこれだけだったと言ってもいいくらいで、実に「呆れた」というのが本音。
ひとつは、Twitterを利用している大多数が関東・東京あたりの人たちだけであって、その人たちの意識が如実に表れるんだということがあの時に分かった。
その上で、所詮「帰宅難民」ごときで騒ぐようなちょろい人たちなのだという、、、つまり、あの時、あの瞬間、仙台空港の屋上で寒さに震えながら助けを待っている人、津波ですべて流されて茫然としている人、なかなか鎮火しない火事、なにより想像を大きく超えるだろうと津波を見た瞬間に予想された犠牲者の数の巨大さ、、、そういうこととは全く別世界の人たちの間で「電車が止まって家に帰れない」で騒ぎになったことに、非常に呆れたのだった。
まあ、もっとも、あのおかげで、誰がなにを言っても、「自分たちがちょっと辛抱して節電すれば、原発に頼らなくても」みたいな議論がバカらしくって聞いとれなくなった。大災害のために一時的に文明の利器が使えなくなったくらいでグダグダいう人たちに、「ちょっと辛抱して節電」とかできるわけがないではないか。バカバカしい。
その後、Twitter界隈では復興のために頑張るんだ、みたいな話もちらほら見たけれども、日常が戻ってくると(そして、被災地以外の人々にもたらされた一応の平穏、表面上の日常にそう感謝することもなく)、そういうことはきれいさっぱり忘れてしまい、また以前のような無駄知識による無駄議論がせっせと展開されるようになった。
震災以前と違うのは、無駄議論の「ネタ」に震災が絡むようになったことで、つまり、大震災そのものが「ネタ」として消費されいく様をみていたのだ、と言っていいと思う。
・・・
リフレ派はそこにもれないわけで、復興債は日銀引き受けだに始まって、、、まあ、今のようなあり様に堕していると。無茶な東電叩きとか、ひどかったな、そう言えば。
そもそもリフレ派って今まで何してきたのと思うわけで、震災以前は勝間和代に期待するようなところに堕ちてもなお、リフレを喧伝すれば世間はついてくると思ってたのかもしれないが、現実はそうならなかったのにさ。
現実には、消費税を上げて財政健全化しようというサイドのほうが非常に地道な努力をやっていて、権丈先生の書き物をよむとそのあたりがちらちら伺えるわけだけれども(先生は、たしか「静かな革命戦士たち」とか言ってましたっけね)、それで今、諸団体が政府の財政を心配するような状況ができあがってしまっていて、そりゃリフレを主張する人間ですら逃げて大学の教授を続けたいとか抜かすような根性のリフレ派たちはダメだよな、と思うわけだ。
とはいえ、僕は読んでないから知らないんだけれども、朝日新聞あたりだと「消費税増税賛成祭」「日本国債暴落危機煽りキャンペーン」を熱烈展開していたという話も聞いて、こういうのは「どの口でそんな話が言えるのか」と言わざるを得ない。
つまり、あれでしょ。右も左も、今も昔も、インテリだ知識人だって言っても、この手の無駄知識の無駄議論に明け暮れて、他の近代国家ではおそらく未経験のはずのあの巨大な大震災と大津波さえも他人事の「ネタ」として消費するような、そういう人たちだったってことなんでしょ。
そういう人たちが、相も変わらずTwitterでおしゃべりを続けていることの奇観。いや、たとえば旧帝大の先生だったらみな真面目に勉強だけしてろとか、そういうことを言いたいんじゃないですよ。おしゃべりで遊ぶくらい、かまわんわけで。
そうじゃなくて、ご専門以外はアホなんだから、ということを言いたいに過ぎない。そして、一般ピープルも、いくら立派な大学の先生でも「ご専門以外はアホ」だからそう思って読んだ方がいいですよ(下手すると「ご専門」でもダメかもしれないわけだ)、あるいは大学の先生でなくても物をよく知ってそうなインテリやエリートみたいなのだっておしゃべりしかできないアホだから、そう思って読んだ方がいいですよ、ということを言いたいに過ぎない。
ようするに、ネットなんてそんなものでしょ、と。便所の落書きじゃなかったのか。
あんま言いたくないけど、便所の落書きとはいえ、エリートとかインテリとか、あの手の人たちはもうちょっと責任を感じないのかね?これがネットだけならまだいいけど、本を買うだセミナーだなんだになると、もっとアホくさいね。リフレ派が集まって新年会とかいう話になると、もう笑った笑った。便所の落書きでそこまで釣るか。
・・・
結局「みんなアホ」なんだから、そこで、誰それはいいけど、他の誰それはダメみたいな評価は、本当のところどうなってるのか、というのも前々から書いているつもり。
つまり、ネットにおけるある価値基準とか評価基準が、本当に「ただの空気」だけで決まってしまっているところがあって、評価が低い人の場合はまだいいんだけども、評価が高い人の場合、無駄に信用されてしまっていて、「こんなことで本当にいいのか?」と常々思っている。
たとえば、ネット右翼や○○反対運動なんかの場合は、あからさまに変なことを言っていることが多いので、批判しやすいし、実際問題視されることが少なくない。ホメオパシー叩きも同じ。
他方で、ニセ科学批判の場合、あからさまには変なことを言ってないし、「批判w」そのものはまあ間違ってないので、「ホメオパシーに科学的根拠はない」と言われればそうですねという話になるし、「ニセ科学の科学のラベリングの悪用は認められない」と言われるとまあそりゃねえ、と誰でも思う。
そうなると、一見正しい、もっともなことを主張しているので、無駄に高く評価されてしまう傾向があって、ニセ科学批判みたいな主張は実は危ないんだというところが見えにくい。
リフレ派だって、ここまで下らないネット○○派になる前、それこそまだBewaadさんがリフレ派でいろいろ書いてたような頃は、リフレはもっともだと思ったし、僕も共感したんですよ。その共感は誤解に基づいていたわけだけれども。
ただ、こう書いてみると、ネット右翼や○○反対運動の評価が一般に低くなるのはまだしも、なんでニセ科学批判や一昔前のリフレ派はそうならないのかというと、単にネットの住民が正しいものに乗りたがる性分だというだけで、空気でそうなってるだけでしょうと。
脱原発反原発で騒いでる人たちだって、彼らにとっては「正しい」言説にのっかって騒いでいるのであって、その意味では「ホメオパシーに科学的根拠がない」と言って騒いでいるニセ科学批判となんも変わらんのですよ。
インテリとかエリートとかに、そういう自覚がないんじゃないの?ネットで誤情報やデマの類も問題だけど、「正しい」情報に問題がないかっていうと、そうでもないんだよ。
・・・
ネットは本当に「情報」だけの世界だから、たしかにインテリとかエリートとかのほうが有利だろうし強いんだろうとは思う。「物知り」のほうが強い。
でも、だからなんなの?というと、実は何もないわけで、繰り返しておくと、
ネット○○派 part354 正しい自分たちは正しい - 今日の雑談
そこで、ネットの住民たちはそれぞれに正しいと考えるものを選択して、その立場をとるわけで、しかしそれはAとBのどちらを選択しますかという問題にたまたまAを選んでみましたというにすぎない。
という状況のネットで、空気でものの善悪や是非が論じられるのは本当にそれでいいのか、それで結果的にネット○○派になって他人に威圧的に論じだして、最後は数で封じ込めるとかはてブで罵倒する、みたいなことで本当にいいのかどうか。
(追記)
件のNHKの番組については、僕は1月に既に触れているので再掲する。堂々と言っておくが、僕は見てないし、見る気もしない。ああいうものに何らかの期待をする、あるいは「がっかりした」みたいな反応も期待の裏返しだと思うんだけれども、そういうものをTwitterで吐露する方がおかしいと思う。期待する方がおかしいよ、あんな人たちの言説に。
2012-01-02 - 今日の雑談
どうでもいいけれども、Twitterで、教育テレビの元旦深夜の討論番組を見た人が結構いることを知った。そこに飯田先生も出ておられたらしい。で、Twitter上では悪評の嵐、といった具合になったように見受けられた。
問題は、「朝まで生テレビ」のアホくささは分かる人は多いくせに、おぬしらまだああいうものを見るか、新世代の学者だ知識人だが何事かを語ってくれると期待するかという点で、悪いのは賢しらぶってその手の討論番組を見て文句言ってるお前らだよ、と。
大学の先生がなんかご立派なことを言ってくれるわけないんだよ。あるいは、たとえご立派なことを言ってもその実現可能性は無視したうえで聞いてないと話にならない。