ネット○○派 part407

久しぶりにニセ科学批判ネタを書くと止まらなくなってきた。
ネット○○派 part406 - 今日の雑談


リフレ派にしろ公務員叩きのようなものにしろ、そもそも批判の論拠が間違ってるとか陰謀論のようなものに依存するとかいうのは、そのおかしいところが非常に分かりやすい。


ニセ科学批判の場合は、彼らはよく言ったものだけど、自分たちは正しいことを言っている、科学的な誤謬を正すだけの何が悪いのか、と。そう言いたくなる気持ちは分かる。


半端に正しいからこそ、恣意的に対象を選択したうえで集団で叩くことは問題なんだ、ニセ科学批判のやってることはリフレ派と同様に「俺(たち)は正しい」という意識を昂進させてるだけなんだということが、当人たちに分からなくなってるんですね。

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今似たようなことをやっているのだろうと思うのは、反・反原発や「放射脳」批判の人たちではないかと思っています。まあ、さすがにこの人たちのことまでおっかける気はないんですが。


おおよそ急進的な脱原発原発の論者の言うことは合理性を欠いていることが多いので、これに突っ込みを入れる人たちのほうにまだ分があるのはよいとして、どうもそこにただ乗りしてる人たちが少なくない印象は持っています。


もっと問題だろうと思うのは「放射脳」批判のほうです。たしかに、放射性物質に過度に恐怖心を抱くことから、科学的合理性に欠ける「トンデモ」見解のほうに依存してしまう人たちの誤りを指摘して正すと言うのは、分かる。むしろ、合理的な情報をきちんとネット上に拡散することはあるいは必要なことでもあるでしょう。


ただ、このところTogetterなどにまとめられたものを見ていると、「放射脳」批判を通じて何をやりたいのかよく分からなくなっているんじゃないかと思う。つまり、正しい情報をネット上に広めたいのか、「放射脳」な人たちの言い分を晒し上げたいのか。あるいは過度に恐怖心を抱く人たちと半端に議論をしてそれが何なのか。


たぶん、「放射脳」批判は科学的合理性はあるんでしょうが、その「正しさ」に便乗してワイワイ言ってるだけで、それがどうしたのか。「放射脳」な人たちを「こんなことも分からない」「こんなことも知らない」と嘲笑したいだけなんじゃないのか。しかも、集団で。それで、正しい情報が受け入れられるようになると信じているなら、相当におめでたい。

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この辺りはリフレ派も同じだと思うんですよ。


リフレ派の人たちだって、リフレは「正しい」と確信しているはずで、あるいは適当なレベルのインフレを維持することには合理性があるというのはそれなりに広く共有されるべき「正しい」見解でもあるんでしょうが、リフレ派はその確信を過度に持ちすぎるので、今みたいな体たらくになっている。で、同様の議論はなにもリフレ派に限ったことではない。


つまり、ある集団が「正しい」と確信しているものが、本当に「正しい」のかどうかは問題ではなくて、「正しい」という意識が主観的に昂進することそのものが問題なんだ、と。


だから、正しいことを言っているからいいんだというのは、なんの正当化の論拠にも言いわけにもなってない。


・・・まあ、ネット上の徒党って、そんなものなのかなと思いますね。


追記
反・反原発や「放射脳」批判絡みの人たちがよく「ウソ情報を信じて撒き散らす連中はどうにかならんのか」みたいなことを言うんですけど、「そりゃどうにもなりません。むしろ、そういう人たちと同居するのが社会というものなんじゃないですか?」と思います。


もちろん、正しい情報を広めようとするのはいいし、誤りを指摘することも必要なんだけど、それ以上のことは基本的にできないし、ウソやトンデモを信じようがどうしようが個人の自由なわけで、基本的にはどうにもなりませんよね。どうにかしようと思ったら相当の努力が必要だ。


あるいは、公の利益に反するとか言い出すのかもしれないけど、そこまでになると問題が簡単じゃなくなるはずでとてもネットで議論できるような話じゃないでしょうと。


となると、結局残るのは、「正しい俺(たち)」って意識だけなんですよね。