たとえばの話 2
たとえばの話 - 今日の雑談
AさんとBさんの話をもうちょっと続けたいが、ちなみにいちおう念頭に置いてあるモデルはあるんだが(ニセ科学批判関係ではない)、名指しすると面倒だし、ありもしない意図を探られるのもいやだし、まあけっこうどこにでも言えそうな気もするので、とりあえず名前は伏せておく。
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Aさんの評価が下がって信頼がなくなって、Bさんの評価が変わらない世界だと、Aさんの書きものは最初から何を言っても信用されなくなる。それはそれでいかがなものかというところがあって、つまり是々非々で読んだ方がいいんだろうが、まあひとまずよしとしましょう。
問題はBさんのほうで、特に根拠なく信用度が高い扱いをされている場合に、是々非々で読んでくれればいいんだけれども、おそらくそうならない。
しかも、Bさんの場合、おかしいことを言っているのは当人の土俵というべきところで結構無茶苦茶いって煽っていて、単に文体や性格で救われているにすぎないようにしか見えなかったりする。だから、なんで信用度が高いのか分からないんだが、参ったな。
これはなにかというと、ようするに普段から信用度を高く保つ努力をしておいて、本来の土俵の分野の意見をついでに支持させてる、、、ということに、結果的になっている。あのBさんが言ってるんだからそうなんじゃないの?、みたいな話に容易になってしまうもんだ。
こうなると、是々非々で読めなくなっちゃうんだよな。
しかも、他の「有名人」たちがBさんを信用してたり好意的に付き合ってたりすると、ますます信用が無駄に釣り上がってしまうんだけど、「有名人」たちのほうにそういう自覚ってあるんだろうか。
自覚があるなら厄介で、しかも他方でダブルスタンダードの党派性に無自覚な場合は、ちょっと手に負えないなという感じがする。ただ、皆が皆そうだとは言いませんけどもね。
それに、そういう「有名人」たちの付き合いがある場合、なにか問題のあることを言ったときにちゃんと「それは違う」と言ってくれるかどうかというと、たぶん、言わないでしょ。いや、言うかな。個人的にはあまり期待できないな。
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まあ、ここまできたらはっきり書いちゃうけど、以前書いたように、Twitterが「有名人」に有利だというのはこのあたりのこともあって、つまり「有名人」が支持者固めに使うのにちょうどいいんですよ。「スケープゴート」を作るやり方はまさにその典型でね。
肩書を出すのもいいし、実名を出すのも全然いいんだけど、それで無駄に信用が上がってしまった場合に本当に是々非々で読んでくれるのかというと、難しい部分があったりするのよね。
一般人からすると、あの「○○さん」や「××先生」が相手してくれるとなったら、普通に嬉しがるものでもあって、いや、もう、「有名人」にはそりゃTwitterは面白いおもちゃだろうと思わざるを得ないわけだ。
・・・まあ、結論としてはこれも個人の勝手だから「好きにすれば」としか言いようがないんだけれども、ただ。。。ただ、こういう人間関係ってネット○○派と共通だし、そちらの方向に容易に展開するだろうとは思いますな。